気楽に生きるには

 
①人間性を信用しない
人間は完璧な生き物ではない。
人間なんてこんなもんだと思えること。
他人も自分も許せるようになること。(×他人を一切信用しない)
 
他人に対して過剰に期待をしないこと。
自分だってどんなに気配りしても他人のことを汲み取り切れないのと同じである。
一生懸命生きるとか、何かに真剣に取り組んだりするのはもちろんのことだが、
少しくらい心の余裕があってもよいのではないか。
 
 
②好感度を上げない努力をする
人に好かれるように、嫌われないように生き続けると、自分を見失う。
良い人になるとは、他人の期待を背負うことである。
素の自分を出す(自己開示する)ことが多い人の方が人から好かれるし、気楽である。
 
また、「誰にも期待されなくても、自分はやり遂げたい」ということが見つかれば、
自分に対して期待を持ち、自分を伸ばし、前向きに生きていくことにつながっていく。
そうなれば、他人の評価よりも優先される自分の基準を持つことができるだろう。
 
誰だって他人から見た好感度は気になるところではある。
しかし、それはあなたの今生きている小さな世界において好感度の話だ。
さらに言うと、他人からの評価は自分でコントロールすることはできない。
それよりも、自分に軸を持ち、本来の自分を優先させる方が大事である。
 
 
③メタ認知で心に余裕を持つ
自分の事を少しずれた視点で見ること。
メタ認知はそれ以外にも、「第三者の目線」、「俯瞰」などと言われる。
ずっと主観的な自分の目線で物事を見ているだけではなく、
一歩引いて客観的な目線でも見る機会を持つ、ということだ。
 
自分を客観的に見ることができると、現状をつかみやすくなる。
今自分がどこを向いているか、どこかに偏っていないか、
何かに過剰な反応をしていないか、などがよく分かる。
その後、セルフモニタリングをして自分の感情に点数をつけるとよい。
 
 
④聞き手にまわる
質問をして相手の話を盛り上げるとよい。
自分が話す割合よりも、一つでも多く相手に話してもらおう、
という気持ちを持つことから始めてみるとよい。
自分が10話すなら、相手は11、くらいの気持ちでよい。
 
何より良いことは、あれを話さなきゃ、これを話さなきゃ、
という謎の義務感にとらわれることがなくなることである。
インタビュアーになったつもりでやってみると、自分も新鮮さを感じることができるだろう。
 
 
➄くだらないことを真剣にやる
意味を探し過ぎるから、世界が重苦しくなる。
常識という狭い世界で綱渡りしているようなもの。
その綱を降りたところで、膝下くらいの高さである。
 
一流の学校を出ていないから本物の知識があるとは言えないとか、
花形の役割の経験がないならそのスポーツをやったことにはならないとか、
何億円もするレアなものを実際に見たり触ったりしたことがないから分かってないとか、
そんな言葉にとらわれないことである。
 
今ある持ち物、環境、人をどれだけ大切に扱い、楽しめるかの方がよほど大事である。
誰かがどこかから持ってきた価値観に振り回されることなんかないのだ。
もしそれが本当に大切なことであり、真実であるとするならば、
今の自分やその周囲との価値観を成長させていけば、どこかでつながるものなのだ。
 
だから、今の時点で、自分でそのことをやっているのに意味が見出せなかったとしても、
傍から見ている人からくだらないとか価値がないとか言われてしまったとしても、
自分にとって心から楽しんだり真剣に取り組めることなのであれば、堂々としていればよいのだ。
周りの評価なんて後からついてくるものなのである。