ズルさについての考察

 
一般に偉人や天才とされている人たちはの大半は、
ズルさという戦略性、計画性を発揮して名を成していった。
 
チェスの達人のように駒を進めていく人は、立派な「賢者」であると言え、
ズルさも発揮せず正面突破ばかりしようとしている人たちは「愚者」とも言えるだろう。
 
世間はずる賢く立ち回ることを要求しているのに、あなたは善人である。
立ち向かう対象に関するルールや法律、一般知識を熟知することはもちろん、
正攻法もその他に打つ手も用意する必要があり、無計画はもっての外なのだ。
 
世間は恥知らずになれと言っているのに、あなたは相変わらず礼儀正しい。
自分の本分は何があっても、誰もやっていなくても、誰に笑われようと達成するのだ。
何かに遠慮したり阿ったりして他人に譲ることと、礼儀正しいことは明確に違うのだ。
 
世間はたとえどうしていいかわからなくても決断せよと求めているのに、
あなたは人の意見を聞いて回る。その上コンサルタント料まで払ったりする。
目的が既にあり最速で結果を得たいのであれば、コンサルタントを雇うのも選択肢だが、
なぜ自分の決断を優先させないのだ。
おぼろげでも、やるべきことを思い描いていたはずだろう。
漠然とでも、何かしらの考えや主張を持っていたはずだろう。

 

ズルさと言われるものは、辞書にあるような、人を出し抜いて自分だけ得をしたり、
正しくないやり方、悪賢さということだったり、犯罪スレスレという意味だけでなく、
先程の戦略性や計画性と言われるように、視点を変えれば、
社会的優位性を得るために発揮する力とも言うことができる。
 
もちろん、悪名で名を上げたり、爪はじきにされたり、本当に罪を犯すのは良くない。
社会的にも広くそのように捉えられているであろうと信じているし、
この場において悪いことをすることを啓発するつもりもない。
 
日本の社会通念上良くないと思われる考え方を悪用するのではなく、
戦略性、計画性を持って、物事を成し遂げたり周囲に役立とうとする上で、
もし誰かから「そんなのズルいじゃないか」と言われるようなことがあれば、
それはおそらくあなたの選んだ道が正しく、周囲を出し抜いた証拠である。
無鉄砲で一本鎗に行動するだけでなく、一呼吸おいて考える、という話である。