●自分を大切に扱うためにできること
①自分の気持ち、欲求に素直になる
②自分に対して大切に扱ってくれる人と付き合う
③自分ばかり我慢しない
④自分にとって大切な場所、存在を作る
⑤すべての人に敬意を持って接してみる
①自分の気持ち、欲求に素直になる
他人に遠慮せず、嫌な事は嫌、欲しいものは欲しいと言う。
他者を思いやる心は良いものだが、それはまず自分自身に向けなければならない。
自分の為に主張すべき時は主張ないと、損ばかりの人生になってしまう。
人は誰でも赤ん坊の頃から、お腹がすいたら周りのことなど一切気にせず泣くものだ。
大人になるにつれ、必要以上に周りの都合のいいように合わせてばかりいると、
昔自分もそうだったことをきれいさっぱり忘れ、自分で自分に許可を出せなくなるのだ。
②自分に対して大切に扱ってくれる人と付き合う
嫌いな人と無理して付き合わないこと。
自分に良くしてくれる人を全力で大切にすること。
人生は一度きりであり、自分の事を大切に扱わない人に使う時間は1秒もないし、
自分と関わるどころか同じ時間を過ごす権利さえない、くらいに思ってよいほどだ。
近所の飲食店や商店が、クレーマーやバイトテロやバカッターに毅然と対応して縁を切り、
常連さん達をものすごく大切にしているのとほぼ同じように、人付き合いもまた同じである。
自分の事を嫌いな人から更に嫌われたところで何も問題はないし、むしろ一発アウトでよい。
だから、相手の態度によっては、自分も態度を変えることである。
相手が自分に対して無礼な態度や雑に扱う態度を取っていたら、
自分はそれを受け入れるつもりは一切ないということを、相手に分からせる。
誰であっても、どんな事情があっても、自分のことを雑に扱わせてはならない。
そうさせることは、自分で自分のことを雑に扱うことと同じである。
そういう人達から自分を守れるのは自分だけであり、
その対応も、前もって知っておく必要があるのだ。
自分を大切にしてくれない人を自分の人生から除外しないと、
ストレスがたまり、自尊心が下がり、自暴自棄になる可能性も跳ね上がる。
何よりも、自分の事を大切に扱ってくれる人と出逢うはずの機会を失ってしまう。
大切にされない事に慣れてはならない。
自分でも他人でも、大切に扱われなくてもよい人なんて、本来ただの一人もいないのだ。
③自分ばかり我慢しない
他人の幸せをずっと優先していると、自分の幸せは一生回ってくることはないだろう。
自分の幸せを優先する事は我儘でなく、幸せになる権利と考えた方がよい。
いつも自分ばかり我慢していると思うなら、たまにはほどほどにしたってよいのだ。
なぜなら、自分さえ我慢すれば丸く収まる、ということは万に一つもないからだ。
相手から「あいつは我慢する奴だ」と受け取られ、その後はいいようにされるだけである。
それも、必ず。
相手だって自分の幸せが大事なのだから、あなたの幸せの為には動くはずはないのだ。
これからは我慢をする時は、相手が自分よりも子供であるとか、初心者であるとか、
自分自身はいつもやっていて機会に恵まれていたり、気持ちや金銭に余裕がある時などに、
相手に対して優しい気持ちを持って譲ってあげる時くらいでよいのだ。
あとは、食べたいけど痩せたいなどの自分を律する時程度である。
④自分にとって大切な場所、存在を作る
困ったらいつでも言ってと言ってくれる人、何があっても味方でいてくれる人、
気持ちが落ち着く場所、やる気が出る道具などは、とても大切である。
本来の自分を感じることができたり、穏やかな心でのびのびと生きられることや、
頼れる人、帰る場所、没頭できることがあれば、人生は一気に楽しくなる。
新しいことを始めてみたり、いらないものを捨てて見たり、
本当はやりたかったことを書き出してみたりして少しでも本来の自分を感じ取り、
自分を大切にする機会を作っていくといい。
そうして見つけ出した少し先の自分は大切にすべき存在であり、
それを見つけ出した過去の自分も大切にすべき存在である。
⑤すべての人に敬意を持って接してみる
これはなかなか難しいが、「できればそうしたい」と思えれば、まずは十分である。
筆者もとても人様に言えたものではないが、経験から言うと次のようなことである。
自分を大切にできて初めて、自分の身近な人から順に、少しずつ大切にできるようになる。
そのためにも、まずは自分の身近な人、学校、会社などを題材として、
「実は自分は大切にされていたのだ」ということに気付き、知ることが大切である。
人間同士の直接的な言葉や行動だけでなく、ルール、仕組み、設備などからも、
人を大切に扱うためにできることを、少しだけでもいいので感じたり学び取ってみること。
話す相手がいる。
見て学ぶべき、真似すべき人がいる。
建物や道がある。
校則や法律がある。
それらはほとんどすべて、人が作ったものなのだ。
最初は自分の身近な人のために信念をもって取り組み、それを徐々に広げていったのだ。
そうして多くの人の助けを得て、やがて顔も知らない人達の為になっていったのだ。
そして今や、自分だの他人だのの枠組みを超えて世の中に役立つようになっているのだ。
しかしその規模が大きすぎるため、見ず知らずの私たちはそれに気付けずにいる。
そのように学び、自分を磨くことで、自分と他人、社会とのつながりを見つめ直すきっかけとなり、
自分も他人も誰かの大切な人であるということが、徐々に分かっていくものなのである。
ここが分かると、自分の事を大切に扱わない人の相手をする時間がいかに無駄であるか、
ついでにその人が、現時点ではいかにどうでもよい存在なのかが分かり、
それと同時に、自分のために使える時間とその残り時間がいかに大切かが分かる。
そうなると、自分を大切にし、次いで可能な限り自分に関わる人達を大切にし、
自分の本分は何なのか、それに伴う行動は何なのか、までが大切になり始め、
それほど時間を置かないうちに、自分の中で止まっていたものが動き出すのである。