「私は平凡なので努力するしかない」という人が時折いるが、
平凡な人はそもそも努力自体が苦手であり、その努力と言っているものも、
無理やりやって自分を締め付けているのではないか、と感じるものも多かった。
大切な事は、
①努力が得意か苦手かに関わらず「継続できる仕組みを作る」こと
②努力が苦手な人は、「そのことについては努力が得意でないことを認める」こと
であり、ポイントとしては、次の要素になる。
・自動化
自分でやらずに済むことはやらず、他人やコンピュータなどに任せること
・手抜き
成立させるのに必要な最小限だけをやり、体裁等にこだわらないこと
・マンネリ化
お決まりのパターンを持っておき、一定間隔や困った時などで使うこと
例えば、健康的に痩せるために食事から変えたいという場合なら、どうだろうか。
毎日努力してキッチンの環境を整え、料理スキルを上げ、たくさんのレシピを覚えて、
頭の中に自然と健康的な食事を思いつき、体が自然とその料理を作るために動き、
それが普通であり当たり前のレベルになるまで研鑽を続ける、ということだけでは、
いずれ疲弊してしまうし、膨大な時間がかかってしまう。
その健康的な食事の実現のために、次のような考え方をしてみてはどうだろうか。
①健康的な料理やお弁当を宅配してくれるサービスを試してみる
②鍋物やスープジャーなどで簡単に野菜を摂れる方法を試してみる
③米一辺倒でなく、オートミールと果物などの手軽な朝食などを取り入れてみる
苦労して考えながら続けることも、やがてその人自身の輝かしい過去になるのかもしれないが、
最初はハードルが高い部類の努力に該当することであっても、
それにぶつかる回数を減らしたり、回避する方法も取り入れて経験してみることで、
「そもそもの実行回数を増やしながら継続させていく」ことができるのである。
また、大切なことの②として、あえて「そのことについては」と限定したのは、
自分をより良くしようと努力している人に対する敬意からである。
本来、ある一分野でやった努力の仕方が的を得ていなかったり、
結果が実らなかったとしても、他の分野ではうまくいくことだってあるからだ。
なぜなら、今まで知りもしなかったことに新たに立ち向かう時の努力と、
何度も何度も失敗してるけどまた挑戦するダイエットの時などの努力と、
以前からやってみたかったことを実現するために好奇心を持って突き進む時の努力とでは、
そのビジョンも、進める過程も、何よりもそのことに対して既に持っている知識も違うからだ。
そして、現在のたった一場面の努力だけを切り取って、「努力ができない人」や、
「実らない努力に精を出す人」と言われる筋合いもないのだ。
努力をする人の姿は素晴らしいものだし、応援したくなるものである。
また、誰にも気づかれずに努力を重ねている人にも、思いを巡らせたくなるものである。
今回やっていることは苦しい努力なのかもしれないが、
別の時、別の分野では、他人には努力ではどうにもならないようなことであっても、
自分にとっては涎が垂れていても気づかないくらいに没頭できることのような、
努力を努力ととらないような状況だってあるのだ。
ただ知っておいて欲しいのは、努力の有無とは関係なく物事を実現させる方法もあり、
それを実際に知っているのと、やっているのと、やり続けているのと、選択して使いこなせるのとでは、
後になって追いついたり埋め合わせたりすることができないほどに、大きな差となるのである。