原因はまず自分で考える

 
例えば、会社や学校に行く時には調子が悪くなり、
行かない日はそうでもない、と言う状況であれば、
その原因は一体何だろうか。
 
 
この例の場合は仕事や学校がストレスになっているということが予想されるので、
まずは自分でそこを原因として、やれる対策を講じ、その結果難しいのであれば、
他人や医師などに相談するようにすれば、自分のしてきたことの一つも示せるだろう。
 
初めてやる事や緊急のトラブル、子供がする質問などはもちろん別であるが、
相手に相談するにしても、何の下調べもせずに、
「〇〇について、原因は何だと思いますか?」と手ぶらで聞くのは良くない。
 
どんな対処をして現在どのような状況にあり、次にどのような計画を立てているのか、
など、事の発端や経緯などは、それがきっちり詳細にでなくとも、あった方がよい。
相手だってこちらが、原因がまったく不明なのか、少しも想像もできないのか、
過程も仮説も過去の事例もないのか、というレベルなら判断に困ってしまうだろう。
 
相手に質問するにしても、自分の考えがまずないと何の意味もないのである。
その上で、「問題を解決するにはどうしたらよいか」という質問になるはずなのだ。
 
物事がうまくいっていない理由が分かるのは自分自身しかいない。
医者やカウンセラー、先生や指導者という専門家達は、
原因探しには付き合ってくれるだろう。
しかし、最終的には自分で気づくしかないのである。
 
 
 
他人、特に専門家は、ほぼ答えと言えるものや、
解決の確率が高い回答を言えてしまうことがほとんどである。
今回の例なら間違いなく、「仕事(学校)がストレスなのでそれを緩和しろ」
と言うだろうし、その前提で「もう少し詳しく聞かせて」と言うだろう。
 
しかしそうすると、大体において本人は「仕事(学校)は別に辛くない」と言い出す。
これは、心理学でいう「否認の心理」というものが働いて、
本当のことを指摘された時に思わず否定してしまう、というものである。
 
だから、専門家側が「原因は何か?」と聞かれた時に、
「原因は〇〇です」と、そのものズバリ回答したとしても、
本人が聞き入れることはまずないし、聞いてもやらないことがほとんどである。
 
そういうこともあって、出来る限り本人が自分で気付くように仕向けてあげて、
そうなるまでまったく同じことを、事あるごとにずっと言い続けたりして、
半年ぐらい何ヶ月も経ってから、ようやく本人が納得する点に至るのだ。
 
はっきり言うが、
「自分で気付いたことなら一瞬で受け入れて判断して対応することができる」
のである。
だからまずは、「自分で気づいて、やらなければならない」と思うことが大切なのだ。
 
 
 
「仕事(学校)がストレスになっている」と自分で気が付いて受け入れているなら、
治す、対策する、回避すると言うようなことに繋がるヒントが得られるのである。
 
例えば、量を減らすとか、もっと気楽に構えるとか、人間関係をうまくやるとか、
作業効率を上げるとか、スキルアップをして専門性を高める、
というようなことを、自分で気づくことを根底に始めていかないといけない。
 
逆に言えば、専門家のアドバイスを聞いてその通りに全部やる方が、うまくいく確率は高い。
しかし、そのようにして問題解決していかれる人というの方が稀である。
さらにういう訳か、大抵の場合は自分で気づこうともせずに沈んでいってしまっている。
 
何度も言うが、まずは「自分で気づいて、やらなければならない」と思うことである。
そして、実現できそうな小さなことからでよいので、実際に行動することである。
他人の判断を仰ぐのはその後でもよいだろう。
 
自分自身と向き合うのは大変かもしれないが、日記でも何でもよいので、
今うまくいっていないと感じていることを言葉にしたり書き出したりしておく。
別に印刷物の裏紙だって、メモの切れ端だって、初めのうちは何だってよい。
 
そうすると、後で読み返した時に関連性も見えてくるし、
洞察力を高めることにも有効だし、自分と向き合うことにもつながって、
色々な気付きを得て改善に向かっていくきっかけとなるのである。