映画、漫画、小説を見たり読んだりして、その内容をアウトプットするとよい。
物語の中に登場する様々な登場人物には、
その物語における様々な感情が繰り広げられているとことも多く、
その中に描かれている人間の感情やコミュニケーションに対して、
「なぜこの人物がこのような行動を取ったのだろう」という理由を考えてみるとよい。
こういうやり方は、もちろんレビューなどではよくある話だし、
自分がその話の主人公でないから気にしなくても当然のことなのだが、
「ただ面白かった」で忘れてしまうと何の自己成長にもならないし、
感動などといった感情の動きも感じられないだろう。
映画を見たらあらすじや感想を書いたり、友達や家族に話してみたりしてみるとよい。
そうすれば、まずは自分が見た視点から少し俯瞰して自分の体験を話すことになる。
さらに共感という部分で言えば、登場人物は当然自分とは違う人格で描かれているし、
その人の立場、気持ち、性格にならないと、その行動も理解できないのだ。
多くの人は自分の感性、性格、物事の捉え方で登場人物を理解しようとするから、
その行動を理解でしきれずに、別の世界の物語として感情も動かずに終わってしまう。
物語の登場人物は現実世界の一般人ではないので、当然常識は通じないからこそ、
その行動の理由や考えといったものを自分で考えながら見ていかないと、
物語として、作品として、本来の面白さも味わえないであろう。
感情移入という点でいえば、自分が登場人物に乗り移る、なりきるという感覚は、
見方や考え方の一つとしては良いのだろうが、実際やってみなければ学びもないだろう。
「この人物は、こういう理由でこの台詞を言ったのだろう」とか、
「こういう性格や背景を持っているから、そのような行動をとったのだろう」
ということを考えて理解していくからこそ、共感する力を使っていると言えるのだ。
こうしてみれば、相手が取った行動の理由を考えることで共感力が鍛えられ、
それが映画や漫画一つでも立派な材料になるというのならば、素晴らしいことだろう。
そうしてアウトプットをしていくことで、自分とは違う見方があることが脳に認識されるし、
複数の視点を持つことにも繋がるのである。
決してエンターテインメントだからといって侮ってはならない。
なぜなら相手の気持ちを汲み取って自分の言葉で表現してまとめるという作業は、
日本ではほとんどの人が、小学校の国語の時間から経験しているからである。
という点で考えると、共感力がないことをあまり悲観せずに、
「実は自分も昔からやっていたことなのだから、もう備わっているのだ」と安心し、
「もう少し伸ばせたら人生が少し楽しくなるかも」と気楽に一歩を踏み出せばよいだろう。