生きていれば、なぜかうまくいってしまったと思える経験があるだろう。
うまくやろうとして実際にうまくいったことはその後全然覚えていないのに、
なぜかうまくいってしまったことはいつまでも心に残っているのはなぜか。
それは、失敗したからである。
物事自体はうまくいったのに、
それが自分がコントロールできる範囲を超えてしまった成功の場合、
実はその結果は失敗とも言えるのである。
例えば、次のような時である。
・予測を大幅に超えた
・過分なほど周囲の協力を得られてしまった
・自分の実力を超えるほど偶然が重なった
今が良ければよいとか、結果オーライ主義の人には、
もしかしたら経験として蓄積されないことなのかもしれないが、
習慣化したり、継続性や再現性を求めてより良い人生を歩もうとする人や、
他人や社会の役に立とうと日頃から前向きに取り組もうとしているような人には、
成功経験のはずなのになぜか気になっているという経験は、
結構あるものなのではないだろうか。
人間は、身の危険や生命の危険を感じたり、何か失敗を経験した時、
二度目を回避できるよう、その経験を活かして生きていくものである。
瞬間的に激しい動悸を感じたり、汗が噴き出したり、頭の中が真っ白になったり、
怖くてその場から逃げ出してしまいたくなるような体験は、
誰にでも少なからずあるだろう。
その反対に、かつて失敗したことを乗り越えたり、
そもそも見込み通りにうまくこなせた物事というものは、
それ以降は「当たり前のこと」として身に付けたり使いこなしたりしていくのだ。
予期せぬ成功とは、自分のコントロールできる範囲の外で起こった事である。
その結果が良い結果か悪い結果かは一先ず置いておくとして、
自分の予測を超える結果は、見方を変えれば脅威でもあるのだ。
だから、とりあえずは良い思い出として刻まれているのかも知れないが、
いつまでたっても気になって心の中に残っているのである。