自分は他人から評価されていないのではないか、と感じるよりも先に、
「自分で自分のとった行動や、自分の人生についてどのように評価するか」
ということについて、普段から考えたり振り返ったりしておくとよい。
他人からの評価に固執してしまうばかりに、
「でもそれじゃあ友達が減ってしまう」と言うのであれば、
良い縁を続けていくことができるように、
自分の技術や人格や思考を高めようしておくのが先だろう。
また、「でもそれじゃあ会社の役職や給料が」と言うのならば、
それでは会社も肩書もフォローも根回しも何もなくなった時に、
或いは今よりももっと立ち行かなくなる世の中になった時に、
どうやって自分の力で稼いで、生きて、生活をするかについて、
少しも考えたことがないのだろうか。
他人や社会と自分とのつながりや、他人が自分のことをどう評価するか、
ということは大変大事なことではあるが、
その前に、「自分自身は一体どのように在りたいのか」
という自己評価のための軸を一つ持つこともまた、大事なことである。
ごく一部の他人から見た評価と、すでに過ぎ去った出来事については、
自分が何かをコントロールして変えることはまず不可能だろう。
他の人にもっと良く見られたいと思っていたとしても、
試験などのように正解数や得点などなら分かりやすいかもしれないが、
なかなか自分の思った通りにはならないのが現実である。
他人が自分に対してどのように考えたり、どのような発言をするかは、
自分ではコントロールできないのだ。
しかも中には、他人を蹴落として自分だけ生き残ろうとする人や、
天邪鬼のように何にでも反対する人だっている。
物事を客観的に公平に見たり、意見と事実を切り分けたりして、
いつでも冷静に考えられる人ばかりではないのだ。
自分がコントロールできないことで悩むよりも先に、できることがあるはずだ。
であればやはり、他人の評価に一喜一憂するよりも、
自分が自分に対して行う評価が先である。
恐らく多くの人も、自分の事は我が身可愛さで評価が高いのに、
他人からは低い評価を受けているのでは、と心配するのだろう。
また、自分を実力よりも高く見積もる傾向が高い人もいるだろう。
もしかしたら、あなたのことを低く見積もって評価している他人も、
自分のことだけは特に根拠もなく高く見積もりつつ、
実はそれなりの数の欠点や短所を持っている人なのかもしれない。
もちろん、職業としてその道を進まなければたどり着けない役割とか、
現在のところは解決方法が限られているような問題に向かう人達は、
他人からの評価は当然避けては通れないこととしつつも、
自身の計画や戦略も織り込み済みであることは間違いないだろう。
しかし普通の人はそれほど強くないだろうから、
「私はこんなに一生懸命頑張っているのに、
他人から全然認められないのはなぜなんだろう」
と考え、そのことを果てしなく増幅させてしまうのだろう。
さて、あなたは自分で自分のことをどのように見ているのであろうか。
もし小さなことでも、他人に対して良いことをしたのであれば、
その行いに対して他人が鼻で笑ったとしても、
「自分は良いことをした」と素直に感じ、自分を褒めればよいのだ。
一生懸命頑張った自分を褒めたり、「この部分は良くできた」と評価したり、
達成感を噛み締めたり、ご褒美として好きなものを食べたり買ったり、
というくらいのことは、すぐにできることだろう。
自分から見ても客観的に見ても、良いと思われることをしたのなら、
もっと自信をもって自分のことを評価すればよいのだ。
「自分はよくやった」と評価するのは、独り言だってよい。
もし、「実はこういう側面ではよくない場合もある」ということが分かった時は、
「新しい発見を得られた」として評価し、今後の自分に付加していけばよいのだ。
自分さえそのように考えれば、誰の目を気にすることもなく、
誰にも邪魔されず、自分で100%実行できることなのである。
こうした考え方から、他人の評価が大事な時も確かにあるが、
もっと自分が自分の人生の主役であるという自覚と割合を増やし、
自分の取った行動を振り返り、地道に改善するようにしていけば、
もう少し気持ちも穏やかになり、自信を持って振る舞えるのではないだろうか。