習い事でも勉強でも、何か目的や目標があって、
相手、特に経験の浅い人や子供が取り組んでいる時には、
「何をどのようにしようとしているか」をよく見ることである。
もし失敗があっても、一回一回あれこれ言わないことである。
頑張るというのは、いつもと違うことをしているのだ。
熟練者や大人だって、いつもと違うことをする程度で失敗があるというのに、
もし今よりも高い難易度のことに挑戦しているのなら、もっと見守り、
何ならこちらもそれを見て学習するくらいで丁度よいのかもしれない。
今よりも少し難易度の高いことにチャレンジしている人が、
それを十分に達成できていないような印象であった時などは特に、
(応援することは当然だが)自分の学習のためにも次のように考えるとよい。
・「何をどのように」の部分をよりはっきり理解できるように努める
・「何をどのように」がどのような要素や流れで構成されているかを考える
・もし今の難易度を一段階下げるとしたら、どのような構成にできるか考える
・その事がうまくいくための、最もシンプルなやり方や条件を考える
・相手が成功するためにできることと、現状との差異を把握する
そして、「あの人はこういうことを頑張ってやり遂げようとしているのだ」と考える
(もちろん応援する姿勢は変わらない)。
いちいち理屈っぽくなってしまったが、他人の頑張りを汲み取るというのは、
感情的な配慮や、相手と接している頻度や、絆の深さなどとは別に、
こういうステップを踏んでこそ、よりしっかりとできるようになるのだろう。
繰り返しのようになるが、相手に対して、
「ああした方が良い」、「こうした方が良い」とかは、
時間の限られている中での改善依頼などの仕事であったり、
相手からアドバイスを求められた時でなければ、控えておいた方がよい。
誰だって頑張りながらその事を繰り返しているうちに、
やがて少しずつできるようになり、そうすることが当たり前になるのだ。
当たり前になれば、当然うまくいく。
それは自分に対しても同じことが言えるのだから、
成功のための教材として(常にでなくても)取り入れた方が良いだろう。
自分が同じようなことをやるなら、何をどのぐらいできれば達成なのか、
上記のように分析したり計算したりする回数が増えれば、
やがて自分が事を為そうとした時のためにも繋げられる。
もちろん、頑張っている人の横に居て見続けるのは迷惑だし、
からかったりプレッシャーをかけることは、常識的に考えてやってはならない。
また、子供であれば、自発的に繰り返し取り組ませて成功を体験させるためにも、
感情の面でも分析の面でも視点を持ち、なおさら温かく見守る必要があるだろう。