他人の顔色を窺ってばかりの人生にならないために

 
①自分の軸(目的や方向性)を定める
②他人の意見は参考程度にとどめる
③自分の思い、考え、感想などを言語化する練習をする
 
 
 
 他人の顔色を窺うことは、良く言えば「周りとの調和を大切にする」という文化の一つかもしれないが、悪く言えば「他人の顔色を気にしてあまり自分の意見や主張をしない」ということになる。
 
 ただ、言いたいことを言ってばかりいると、周りから煙たがられたり、いじめや差別の対象になる場合もあり得るので、必ずしも悪いことではなく、むしろそうした方が良い場面もあることは補っておきたい。
 
 冷静に周りを見てみれば、むしろ結構な割合で皆気にしていると思うので、自分だけが気にし過ぎなくても良いのではないだろうかと思う。
 
 もしも、言いたいことを言う人生のその先に自分の幸せがあるからそうしておきたいと言うのであれば、そうすればよいだけである。
 
 
 
 しかし、他人の顔色を窺ってばかりの人は、それよりも、自分の考えや意見をより明確に言語化したり、上手に伝えられるようになることを実践していった方が良いのではないか。
 
 自分の意見をしっかり持った上で他人の顔色を窺うか、全く何も考えたり思ったりしない状態で他人の顔色を窺うか、この違いは大きいだろう。
 
 だから、他人の顔色がどうかという前に、とりあえずのところ自分はどう考えているのか、周りの意見〇〇が多いが自分はこう思う、ということを考えるようにしておくと良いだろう。
 
 
 
 そうして考えたことを実際に口にするのかどうかは別として、いざ他人から意見を聞かれた時に回答できるようにするための準備をしておいた方がよほど良いのだ。
 
 なぜならば、自分の考えを持っている人は自分の軸がしっかりしているからたいしてブレないため、それほど他人の顔色を窺わなくても良いからである。
 
 結局のところ、自分のやりたいことや考えがはっきりしないままにしておくから、他人の意見に左右されてしまい、自分が本当に進むべき方向とは関係ないところに進むことになって、不幸な道を辿ることになったり、ものすごく遠回りをして時間を費やした後に目的に辿り着くことになるのだ。
 
 
 
 例えば筆者と同じように、ブログを書いたりネットに投稿している人達は、何かを見たり読んだり経験したりした後に、自分なりの考えや、思いや、感じたことを発信しているから、それほど問題はないだろう。
 
 筆者もとても人様のことを言えたものではないが、まずはどんなに小さなことでも、文章一つでも良いので、自分の中から湧いてきた思いを言語化してみるのが良いだろう。
 
 それが難しいなら頭の中で思い描く、というだけでも、口を開けてボサッと過ごしているよりもよほど良いのである。
 
 他人の顔色を窺うことは決して悪いことではないが、そうするばかりの人生にならないためには、自分の軸を定め、他人の意見や考えは参考程度に留めておき、自分の意見を持つために考えを言語化する練習をしながら、自分の本来の目的に向かって進んでいくのがよいだろう。