自分の考えが正しいと思うだけでは間違った結論に達しやすい メモ

 
 人間というものは、非常に未熟な知識の中に生きているということを踏まえ、「自分が正しいと思う意識が強い」状態のままというだけではなく、「自分が合っているのか、間違っているのかということを、いつでも冷静に見つめて判断できる」ように心得ておくとよいだろう。
 
 例えば、現実には起こり得ないことだろうが、タイムスリップができたとして、紫式部に現代の飛行機を見せたら、おそらく「天狗じゃない?」と言うかもしれない。
 恐らくこのように回答するであろうという想定は、紫式部が生きていた時代には飛行機がなかったからである。
 
 人間というものは、自分の頭に中に入っていないものは、思い浮かばない。
 現代に生きる人たちが「あれは飛行機だ」、「これは家だ」と思うのは、そのことが頭に入っているからであり、普段の生活を送る分にはそれで十分だが、人間はその人の性質や生きてきた環境がそれぞれ異なるものなので、それぞれの頭の中に入っている情報も当然元々違うのである。
 
 現代人が「飛行機」といい、紫式部が「天狗」というように、同じものを見ても情報の受け取り方が異なるのは、人間の持つ錯覚によるものである。
 だから、自分と異なる考えや意見の人がいた場合、「意見が違う」のか、「事実を見ているその事実の種類が違う」のか、この点を考えてみる必要がある。
 事実に基づいて意見を言うのであれば、事実が違えば意見は必ず変わるからである。
 
 事実は知らなければならないが、必ずしも同じものではない。
 高齢者がテレビを見る割合が多いのに対し、若者がネットを見る割合が高い、などというように、「見ているものが違うから考え方も違う」ということは、いくらでもあるのだ。
 
 このことから、自分の意見ははっきりとあるが、人の意見も「そうかもしれないな」と思えるようになると、職場の人間関係などはガラッと良くなるだろう。
 例えば職場の上司などは、年齢も立場も持っている情報も違うという以上に、お客さんなどの相手も違うなど、それぞれ全部違う。
 だからそもそも上司と意見が合うのもおかしいし、同僚と意見が合うというのもおかしいことなのである。
 
 
 
 また、人間というものは、目で見たものを信用する傾向にある。
 昔の人は「太陽の方が地球の周りを回っている」と唱えたが、目で見たものが真実だというなら、現在であってもどう考えても太陽の方が地球を回っているように見える。
 
 人間は間違った考えで物を考えると、間違ったことが正しく見え、その結果二回間違える。
 「地球は平らである」という前提で太陽のことを考えると、「太陽が西の土に沈んだ後は、翌日になると新しい太陽が東から生まれる」という間違った結論に達することになるのだ。
 
 現代の日常であっても、「事実を正しく理解している」ということは少ないため、間違った概念や事実でものを考えるということはいくらでもある。
 
だから、人間には、
 ・自分の頭に入っていないものは、間違って、正しいと思ってしまう。
 ・目で見たものは必ずしも正しくはなく、自分の目でそう見えているだけである。
 ・間違った考えでいると、間違いが正解だと思ってしまう。
 
という欠陥もあり、こういった点をあらかじめ分かっておくと、毎日がいくらか快適になるだろう。
 
 
 
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●参考
・紫式部から見れば飛行機=天狗?【武田邦彦の逆転講座④】
 
・西に沈んだ太陽が東から昇るのはなぜ?【武田邦彦の逆転講座⑤】
 
 
 
 話題としては一見理屈っぽいものにも思えますが、人間関係を円滑にするには自分をどのようにしていったらよいか、という内容です。
 
 昨今、「例え話はいらない」とか、「手短に結論だけ言え」とか、「間や行間が読めない」とか、「要点だけ時間短縮して得るのがよい」という風潮を見かける機会が増えたように感じる中、理系で科学者で高齢(すみません)で著名な方が、客観的に論理的に、思いっきり例え話を交えたり現代と昔を比較したりしながら話を詰めていく様子が、かなり楽しめる発信だと思います。
 
 もしも紫式部が飛行機を見たら「天狗じゃない?」と言うだろう、というくだりは結構好きで、その発想にハッとさせられてしまいました。