親密な相手と話し合いがうまくいかない、話が通じない時には

 
 話し合いはした方がよいし、できるに越したことはない。
 仮に難しいとしても、ガス抜き程度のやり取りくらいはできた方がよいだろう。
 ここでガス抜きというのは、「こちらが言った話を相手が聞いてくれればよい」ということである。
 
 「話し合い」となると、交渉をしたり、意見の擦り合わせをしたり、譲歩をする、ということが必要になることもあるし、そもそもイメージとして持っている人もいることだろう。
 そして相手も、そういうことをいちいち細かく切り分けて考えられる人なのかもしれない。
 もっと言うと、そこから発展させて、「相手の言うことを聞く、聞かない」、「相手に使われる、使われない」ということまで考えているのかもしれないし、そのような印象を与える雰囲気になってしまっているのかもしれない。
 
 もしお互いに、或いはどちらかがそういったことを考えているとしたら、「話し合う」というのは多少はハードルが上がってしまうのだろう。
 しかしそうではなく、「ガス抜き」というかたちでコミュニケーションを取ろうとした場合は、もう少しハードルが下がるのではないだろうか。
 
 ちょっとしたストレスくらいなら、「今日はこういうことがあった」、「○○が楽しかった/辛かった」、ということを誰かに聞いてもらうだけで軽減できる。
 自分が「この最近心の中に思っていたこと」や、「ネガティブな体験をした話」だったり、「あなたにこの話をしたかった」というような件について実際に言葉に出すことが「ガス抜き」なのである。
 
 普段からこうした事をできていればストレス発散にもなるのだが、誰にも言わずに自分一人で溜め込んでいると、そのガスはどんどん膨らんでいってしまう。
 最終的に爆発してしまう前に、やはりガス抜きはしておくべきであろう。
 そのためには誰かに話を聞いてもらわなければならない。
 
 自分の家族でも友人でも良い。
 その相手にも少しは聞いてもらえるように協力してもらうことも必要だろうし、相手も話を聞いてあげるべきだろう。
 お互いに「話を聞いてもらう」という姿勢を作っていかないと話し合いにはならない。
 しかし、まずは自分自身が相手の話を聞くという姿勢を持ち、そして相手も自分の話を聞くという関係性を作っていくことが大切である。
 
 
 
 ところで、相手も話を聞いてあげるべきだと述べたが、自分にもできることはないだろうか。
 
 いつも相手を都合よく使うような言葉遣いをしていなかっただろうか?
 相手はあなたの言いなりになるためだけに生きてきたわけではないのだ。
 
 いつもネガティブな話ばっかり聞いてもらっていないだろうか?
 相手だってあなたとのんびり楽しく時間を過ごしたいのかもしれないのだ。
 
 いつでも何事でも、理由付けをした行動ばかりになっていないだろうか?
 そして、そのことに相手も巻き込んでいないだろうか?
 もし相手と他愛のない話をしたいのなら、時には好みやノリで決めるとかいう面も見せていてもよいのかもしれない。
 ちょっとしたことくらいなら相手に主導権を持たせてあげるとか、花を持たせてあげるとか、決めさせてあげるということが、たまにはあったってよいのかもしれない。
 
 もしも自分ができることがあれば、自分ばかりが身を削るという必要はないが、相手との良好な関係のためにもやっておいた方がよいだろう。
 
 その上で、お互いの意見を擦り合わせたりするという、本来の話し合いのステージに移って行くことができるのだ。
 だからまずは、お互いが相手の話を聞けるようにならなければならない。
 夫婦、恋人、親友など、お互いにとって極めて近い間柄の人同士は、このようにできるとよいだろう。
 
 ちなみによくある話で、年をとった親や、職場の関係の人、友達だけれどそんなに近すぎもしない人などが、「聞こえていても返事をしない」とか、「聞こえないふりをしている」とか、「その人の得になることしか返事をしない」とかいう低いレベルの話がある。
 しかしこれは一般的には、あなたがいちいちそんな相手の許可を求めなくてもよい事とか、お伺いを立てなければならないということでもないし、腹を立てることでもないし、相手も自分の機嫌くらい自分で取れという話のことなので、ここでは割愛する。
 
 
 
 「話し合い」は、できればもちろん良いことだが、相手を責めるような雰囲気になるとか、段取りや手順を細かく決めなければならないとか、そのような展開になってしまうと、相手も拒否するだろうしこちらも疲れてしまうだろう。
 「ねえ、ちょっと聞いて」と気軽に話を振ってみたり、相手から完全な回答を得ようとしない姿勢を持ってみるなど、やれそうなことはいくらでもあるのだ。
 「話し合い」をするためには、話し合いというレベルまで持っていかない、ということも必要である。