何か変わらなきゃと思ったら口癖一つでも変えてみる

 
 人はいつだって心のどこかで「良くなりたい」と感じているものだろう。
 もしも口癖一つで少しでも人生の何かを変えるきっかけになるのであれば、それもアリでいいじゃないかと思う。
 
 砂糖や小麦粉の塊を「新薬です」と言われた実験で、具合いが悪かったのが治ったり改善してしまうように。
 人生の大切な時に「あなたのためにお守り作ってきたよ」と渡されて、信じられないくらい絶好調になるように。
 言葉一つで明日から少しでも前向きになるのであれば、たとえプラシーボ効果と思っても試してみる価値はあるだろう。
 
 
 
①起きたい時間を強く意識して口にする
 「明日は6時に起きる」と強く意識したり口にすることで、その通り起きられるということがある。
 実際、起きる90分くらい前の段階からコルチゾールが分泌され、覚醒して目覚めるための手助けをするそうだ。
 
 平日も休日もいつも6時に起きることが定着している人は、このようなことを考える必要はないだろうが、朝の目覚めが良いか悪いかでその日の一日の気分は全く違うものになる。
 目覚まし時計やスマホのアラームに頼らずに思った通りの時間に目覚められるのなら、試してみる価値はあるだろう。
 
 ちなみに筆者は6時に起きようと試みて、かなり高確率で6時に起きられるようになるまでに一月はかからなかった。
 大事な用事のある日やもっと早起きする必要がある時は目覚まし時計を使うが、それ以外はスマホのアラームを通常の音量でセットし、寝床から少し離れたところに置いておくくらいで問題なく起きられる。
 たまにはしばらく微睡んだり寝過ごしたりすることもあるが、それでも6時半には目が覚めるし、前日に日付が変わるまで起きているようなことをしなければ、休日であっても9時だ10時だまで寝ていることもない。
 
 自発的に起きようとする姿勢は大切である。
 ただし、希望の時間に起きるのに必要な睡眠時間を確保することまで逆算し、明日の準備を済ませて早めに床に就き、その上で意識する必要はあるだろう。
 
 
 
②自分で自分を励ます言葉をかける
 「人間だからミスもする」、「人間だからそんな時もある」、「今の自分で大丈夫」などと自分を励ましたり許したりすることがある。
 そのように自分自身に対して良い働きかけができる人は、自己肯定感が高い人とも言われる。
 心理学ではセルフコンパッションと呼ばれ、こうしている人ほど、
 
  ・幸福感が高い
  ・精神的に強い
  ・不安や痛みに耐性がある
  ・人に優しい
 
という人になりやすい。
 
 また、自分に優しく接する方が、厳しく接するよりも、
 
  ・先延ばしが少なくなる
  ・目標などを達成しやすくなる
  ・しっかりした人物になる
 
という傾向が高いようである。
 
 
 
③「~ねばならない」ではなく「~しよう」と言う
 自分で決めて自分で動くという自発性が大切、ということである。
 「~しよう」、「~やろう」ならば、自発的で主観的であることは言うまでもないだろう。
 
 しかし、「~ねばならない」、「~しなきゃ」では、誰かにやらされるという暗示を自分で自分にかけていることと同じなのだ。
 そうして気が重くなり、面倒くさくなり、嫌な気持ち満載で事に当たるというのは、かなり心にも体にも悪いのではないだろうか。
 
 やらされている感覚があると、自分でそうしようとしなくても無力感を覚えてしまう。
 口ぐせ一つでそれが変えられるなら、すぐにでも変えたほうがよいだろう。
 
 自分で決めたという感覚を、自己決定感というそうだ。
 自分で物事を選んで決め、自分でやり遂げられることが多い人生の方が、より充実感を得られることは間違いないだろう。
 
 
 
④慈悲の瞑想を口にする
 これは、「自分も含めてみんなが幸せであるように願う」ということであり、仏教の流れから来ているものだそうである。
 心理学や自己啓発などでは、分かりやすく「『幸せでありますように』と思うようにするとよい」、という部分に焦点が当たることが多いように感じるが、大元は次のような内容である(※仏教や宗教の教えが苦手な人に強要するつもりはありません)。
 
  私の嫌いな人々、私を嫌っている人々も、幸せでありますように。
  私の嫌いな人々、私を嫌っている人々の、悩み苦しみがなくなりますように。
  私の嫌いな人々、私を嫌っている人々の、願い事が叶えられますように。
  私の嫌いな人々、私を嫌っている人々に、悟りの光が訪れますように。
 
 自分のことを好いてくれている人々が幸せになるように願うことは、多くの人は自然に願えることだろう。
 そして、自分のことを悪く言ったり危害を加えようとしてくる人に対して、腹を立てたり許せなかったりするということもまた自然だろう。
 しかし、恨みに対して恨みを持って対処するという心持ちは、相手を傷つけるのではなく自分自身を傷つけてしまうことになるのである。
 
 嫌な事や悪口などというものは、誰でも思ったり口にしてしまったりすることはあるものだろうが、一回ならず毎日のようにそのことを言い続けたりやり続けるというのは、どこかに必ずその理由があるはずである。
 もしそれが自分にあれば改善していけばよいし、相手にあればそれを見て反面教師にすればよいだろうが、「目には目を」としてやり返すような真似をすることほど愚かなことはない。
 
 誰かを嫌ったり貶めることによって周りの関心を集めることしかできないのは、大変可哀想なことである。
 だから、そういう状況に入り込んでしまった相手を憐れみ、自分自身は絶対にその同じ土俵には乗らずに、心を乱さず、筋もブレず、相手にしないようにするべきである、という教えである。
 上記に述べたように心理学などで「『幸せでありますように』と思う」というのは、その人の心や人生に対して前向きになってもらいたいという目的から、慈悲の瞑想のうちのその部分を上手く引用して伝えているのだろう。