自分の人生を生きるためにできること

 
 自分の人生を生きられないと、他人の人生を生きることになってしまう。
 自分で選択し、決断し、行動してその結果を味わうという面からみれば、自分のやりたいことではないことで幸せを味わうのは難しいだろう。
 
 だからまずは、自分の人生の方向性について考えてみるとよい。
 自分で決めたことの中であれば、もし失敗したとしても、それも含めて自分の人生と言える。
 他人の忠告や助言などには従わず、自分で考えて判断していくことが、自分の人生を生きていると言える。
 
 とは言っても、多くの場合は先にやっている人達から学ぶこともあるし、集団行動ということもあるし、他人の言葉に左右されることもあるので、実際にはなかなか難しいだろう。
 また、自分で考えて判断するためには、自分自身が成長していく必要があるので、ある程度のことは自分で勉強したり、経験して失敗を積み重ねたりしながら、試行錯誤をしていく必要がある。
 
 もちろん、自分が何をやりたいか、どうやって生きていったらいいか、ということも普段から考えて葉にしていく必要もある。
 そうなっていかれれば、正しい判断というものもより出来るようになっていくし、知識や経験に基づくものになっていくのである。
 だから、当然未熟なまま、この世の中の様々なことを経験することを躊躇ったり、失敗することを恐れたり、めんどくさがって自分の部屋の中でぬくぬくとしてばかりでいてはならない。
 
 
 
 
 
 自分のことを未熟なまま放ったらかしにしていると、あらゆる面において、自分よりも様々な経験がある親や、友人や、上司や、先輩などのアドバイスの方が、自分自身に比べて正しかったり有力なものになってしまう。
 
 やがて、自分の判断よりも尊重してしまうことになっていき、そうすることが当たり前になっていってしまう恐れも高まる。
 
 当然、この先に出会うべき専門家の中の専門家や、心から尊敬できる師と言うべき人や、同じ目標に向かって進む頼れる仲間には、ほぼ確実に出会うことはないだろう。
 
 これは決して言い過ぎだとは思わない。
 
 また、何も考えていない人が思いつきで何か行動を起こしても、結局間違った判断をしたり失敗を招いてしまう。
 だから、普段から勉強したり、自分の事を見つめ直したり、今後自分はどうしていきたいのかということを考えたり、実際に行動を起こしてみてどのような手応えがあったかを経験しておく必要があるのだ。
 そうしないと、自分らしい人生というものを送ることはできないだろう。
 
 自分が何をしている時が一番楽しいか。
 自分はどのようなことに興味があるか。
 自分はどのようなことが好きか。
 自分はどのようなことが得意か。
 自分はどのようなことをやっていると生き甲斐を感じるか。
 自分はどのような方向性を持って進んでいきたいか。
 自分はどのような価値観を大切にしているか。
 
 こうしたことが見えてこないと、この先どうやって進んでいったらいいかも分からなくなり、人生のどん底を自分自身で作る選択と行動を繰り返す破目になってしまうのだ。
 
 
 
 
 
 自分の方向性を見いだすことについて考え、悩み、失敗し、試行錯誤する時間と回数は、ある程度は覚悟しておく必要はあるだろう。
 ただし、そうした中にも今後につながる学びや教訓というものは確実に存在している。
 だから、たとえ回り道になったとしても、自分自身で考え、選び、実際に経験しておく必要があるのだ。
 
 ほとんどの場合、他人の忠告や助言というものは、その時点でのその人の知識と経験のレベルであり、且つその人の親切で言ってくれている。
 良かれと思って、良い企業に就職してもらうために言ってくれるし、早く仕事を終わらせるために言ってくれるし、参考程度になればとその人の経験を言ってくれるのだ。
 
 しかし、あなた自身が楽しい気持ちになったり今後幸せになったりするかどうかは別の話である。
 その時に良かれと思ってただ言ってくれただけのことに対して、何も考えずに自分のすべてを差し出して委ねてしまうのは馬鹿馬鹿しいのだ。
 要は、他人のアドバイスなど無視して、ボサッとして流されてないで少しは自分で考えて行動しろよ、という話である。
 
 
 
 
 
 もちろん、他人のアドバイスを無視すると言うというのは、例外もあるし、聞くべき時だってあるし、周りに合わせて従うこともある。
 話は話として真摯に受け止める姿勢を持ち、それを取り入れたり、聞き流したり、比較したりしながら、その上で自分の意見を持ち、他人の意見に左右されることはない、ということなのだ。
 その辺りのところまで判別できるようになるように、どうでもいいアドバイスは無視できるだけの力を持てるように、自分で自分を磨いていくことが必要なのである。
 
 親、家族、友人、恋人、先生、師匠、専門家、本、テレビ、ネット。
 様々な面で知識やアドバイスを得る機会はあるが、一旦はたくさんある情報の中の一つとしてしっかりと受け止め、それらを元にどうするべきかを自分で判断していくのだ。
 
 「他人に言われたからそうした」という理由だけで自分の人生を生きていくことほど馬鹿馬鹿しいことはない。
 他人の人生ではなく、自分の人生を生きるのだ。
 
 死ぬときにどうあったら納得がいく人生だったと言えるのか。
 これから自分はどう生きていきたいのか。
 どう生きたら楽しい人生にできるのか。
 
 こうした方向性を見出していくことが、自分の人生をしっかりと生きていくために必要なことだと言えるだろう。