「絶対○○」という視野が狭まる考え方に陥らないためにできること

 
 科学でも医学でも日常でも、多くの場合においては、万人が同じ結果になるということはまずないと考えておくことである。
 人間にはそれぞれ個体差や考え方の違いがあるし、言うまでもないだろうが、数学なり物理なり何かの公式に当てはめて答えを導き出すというのであれば、その当然結果は同じになることもある。
 
 また、確率などで、選択肢AとBのうちどちらを選んだほうがより良いかということもある。
 方向性を示すようなことでは特に、うまくいく割合が異なる可能性があるというだけで、可能性が低い方を選んだとしてもうまくいくこともあるのだ。
 
 さらに、その選択をする際にも、その人のためなのか、世の中や社会のためなのか、今存在する制度に則った上でその方が良いとする、などというように、選択の根拠となる部分の違いということもある。
 
 
 
 「絶対」という言葉は、必ずしも100%の結果をもたらすという意味だけではない。
 例えばその他にも、「絶対に成功するぞ」などという願望や意気込みが高まった状態において一生懸命やる、という意思表明をしている時にも使われることを知っておくべきである。
 
 このように「絶対」という言葉は、法則や公式などに則ったもの、科学などで判断した結果をもたらす割合などについていうもの、ある時の心情や情熱などを表現するもの、といった様々な意味で受け取ることができる。
 自分の中で受け止める材料が少ないと、曲解してしまうこともさせてしまうこともあるので、小さなことかもしれないが改めて理解しておく必要があるだろう。
 
 
 
 人間は思いや情熱の世界に生きることも多いのだから、日常生活で他の人があなたのために「これ絶対においしいから食べてみて」のように強調して言ってくれることもある。
 
 人から何かを聞く時だって、よほど頓珍漢な内容でもない限り、その人がたくさん経験を積んだ結果そう思ってるから伝えてくれるということもあることも、全員に効果があると言うわけでもないことも分かった上で判断の余裕を持って聞くとか、自分のために言ってくれて有難いとか思って聞いておいた方がよいのである。
 
 その辺りを分かって接することができるようになれば、いちいちトゲトゲせずに相手の発言を一旦受け止める余裕もできるし、相手のことを理解してあげるきっかけにもなるし、今までしたことのない話ができて楽しかったりする経験にも繋げることができるのである。