ネガティブな性格に悩むよりもやった方がよいこと メモ

 
 誰でも自分自身の性格について、正確に理解して判断することは難しい。
 試しに近しい間柄の人に自分の長所を聞いてみると、自分が思っているのと違う答えが返ってくることもよくある、ということがその答えに近いだろう。
 自分が長所と思っていたことは周りにとっては意外とそうでもなく、自分にとっては何ともないことでも他人から見たら結構すごいと思われていたりすることもあるのだ。
 
 人間は、もともと自分自身の洞察が苦手なのだろう。
 むしろ得意であれば、人生がイージーモードになるのではないだろうか。
 或いは、自分の成長の限界ギリギリを攻めて、果てしなく成長することができてしまうのではないか。
 
 想像をすることは簡単かもしれないが、しかしそれでも自己洞察は深めていった方がよいだろう。
 様々な物事に対して、その人なりに責任感を持って一生懸命に取り組んでいるにもかかわらず、自己洞察がまるで出来ていないと心や体が参ってしまうこともまた多いのだ。
 
 
 
 自分の性格は「分かっているようで分かっていない」というのが正しいのだろうが、しかしネガティブな思考が継続してしまう状況は避けたい。
 一方、ネガティブなことにばかり注目してしまうのは、自分の本来の性格ではなく、一時的な症状の場合もあると言われている。
 メンタルが弱まってくると、内気や根暗になってしまったり、人と会うとその後は疲れ切ってしまう、というのがこれにあたるそうだ。
 
 精神的なものの例ではないが、確かに、数年ぶりに会った友人などが結婚して子供もできると、今まであっていた時よりも性格が変わっていて驚くこともある(穏やかになっていた場合も、そうでなかった場合もどちらも)。
 
 人間の性格とは、結婚や子供ができたりして家族の環境が変わったり、長く接していた集団から新しい集団に変わったり、まるっきり人と関わらなくなったり関わる人が変わったり、勉強や実体験をして新しい発見をしたりするなど、何か大きなきっかけでもなければそうそう変わるものではないが、それでも短期間で変わることはなかなかないだろう。
 
 性格なんて一時の症状で見えたり隠れたりしまうこともあるし、当の本人にだって分かりづらいものなのだ。
 
 
 
 だから、あまり自分の性格についてあれこれ考えてみても仕方がないことである。
 それよりも、自分自身がこれからどのような行動をとっていくかということの方が重要であり、どう行動するかで他人からの評価もまた変わってくるのだ。
 
 逆に考えれば、ある人が、他の人と会っている時にはニコニコと笑顔で気さくに対応していても、その人が家に帰ったりして一人になった時に本来の性格がどのようなものなのかあなたには分からないのと同じことである。
 
 自分の性格について悩んでしまうくらいあれこれ考えるよりも、そこは一旦置いておいて、自分がとる行動を変えていった方が自分のためにもなるし、それがもし良い行動ならば周囲や社会のためにもなるし、そっちの方が余程良いのだ。
 
 自分のマイナス面にばかり焦点を当てて内向きになるよりも、今できることに集中して向き合い、一つずつでもより良い行動に変えていった方が、人生においてはメリットが多いと言えるだろう。