恥をかいたという思いから立ち直るために メモ

 
 「恥をかきたくない」いう気持ちは誰にでもあるものだが、あまり気にしすぎてしまうと人の目も気にするようになり、かえって動けなくなってしまうことも多い。
 また、新しいことや経験の浅いことをする時にでも、気にしすぎてしまうとぎこちなくなってしまったり、上手くいくものも上手くいかなくなってしまう。
 こうした気持ちが自分の行動を制限していってしまうこともあるのだ。
 
 恥に強くなれば、失敗を恐れずに新しいことに挑戦しやすくなるし、自信がついて自分らしく生きることもできるだろう。
 心理学で言われる 「脱感作療法」という、苦手な物事を徐々に慣らしていくという方法があるが、原理はこれとよく似たものである。
 
 
 
①恥ずかしい気持ちは脳の通常反応であることを知る
 近現代などよりもはるか昔の、まだ集団で狩猟をしている時代、人間はその集団から仲間外れにされて一人になってしまうと、それはほぼ死を意味するものであった。
 だから、集団から外れないために備わった本能として役立っていたのだそうだ。
 
 しかし現在ではそうしたこともないため、人から馬鹿にされたり中傷されたとしても、特に命に関わるものでもない限り気にしさえしなければ、人生に与える影響はほぼゼロと言ってもよいだろう。
 「恥ずかしくて嫌われてしまうかもしれない」などと思った時には、「大昔の人間の名残が大げさに出ている」くらいに思い出してみて、図太い神経の人になった気持ちで自分のことを俯瞰してみれば、少しは気持ちも落ち着くだろう。
 
 
 
②恥ずかしい気持ちは好印象になる材料と考える
 恥ずかしい気持ちがあるからといって、何から何まで不利になるということはない。
 いつだって、新しい場所に行った、初めてのことをやった、何か不慣れなことをやる、という時くらいはあるだろう。
 そんな時に恥ずかしい気持ちになったとしても、人間として素直さや正直さが出ていた方が、相手にとっては「信頼できそう」、「友達になれそう」、「応援してあげたい」というように、意外と好印象に思っていたりするものである。
 
 これを知っておくだけでも「恥かいちゃったからもう人生全部ダメ」という気持ちは減る。
 むしろ、「物事に一生懸命取り組もう」とか、「誠実な対応を心掛けよう」とすら思うようになるだろう。
 
 
 
③恥ずかしいと思う感情を一旦受け入れて認める
 人に何か相談するにしても発表するにしても、迷ったり緊張することは誰にでもあることだし、謝ったり訂正したりする時だって、心配したり不安になったりすることはよくあることだ。
 
 そういう時には「今、恥ずかしいと思っている自分がいる」ということを俯瞰して見つめてみて、その状態を認めて一旦受け入れてしまえば、少し気持ちに余裕を持つことができるだろう。
 その後に①や②の対応をしていけばよい。
 
 間違っても、「失敗したり謝ったりしたら、その先一生相手に好き勝手される」ということはないのだ。
 
 
 
④少し緊張することを自分からあえてやってみる
 これは客観的に見ても、恥をかくことに少しずつ強くなっていくための効果的なトレーニングと言えるだろう。
 何に緊張するかは人それぞれだろうが、例えば普段話しかけたことのない人にこちらから話しかけてみるとか、元気の良い挨拶をこちらからする、という日常的なことなどからでも始められることだろう。
 
 ちょっとしたことで「どうしようかな」と迷うようなことがあれば、トレーニングのためと思って迷わずやってみるのがよいだろう。
 
 
 
⑤恥ずかしく思った話を人に話してみる
 自分の体験談として「笑い話にしてみる」ことで、人を笑わせてみようということである。
 決して「笑われる」ということではない。
 
 人は、「バレたくない、隠しておきたい」などと思って隠し事をすればするほど、おどおどしたり自信がなくなったりしてしまうものである。
 最初は話しても良さそうな間柄の人に、話しても良さそうなエピソードからしてみると良いだろう。
 慣れてしまえば小さなことくらいは気にならなくなるし、恥ずかしかった過去も笑い話にできれば少しくらいは良い思い出に変わるかもしれない。