この世の中で、自分以外の他人が、ほぼ常に自分の期待通りの行動をしてくれないのは、当たり前のことである。
本人が変わろうとしているなら話は別だが、精神医学の上では、他人の性格や考え方は変えることができないと考えられている。
こうしたストレスにさらされることなく、且つ冷静さも保ったままでいるには、何か目の前に発生した出来事が「自分の課題なのか」、「他人の課題なのか」ということを、はっきりと切り分ける必要がある。
例えば、普通は風呂に入った方が綺麗になるしさっぱりして良いのだが、今日に限って相手はそうしていない。
その理由は、今日はたまたま体調が悪いのかもしれないし、或いはただ単に、今日はダラけたいだけなのかもしれない。
しかし結局のところ、今日風呂に入るかどうかは相手の課題であり、自分の課題ではないのだ。
別に、例のように入浴に限った事ではないが、自分のことでもないのに、あれこれ言って相手をコントロールしようとするからストレスになるのである。
またその反対に、自分のことだから自分で決めて自分でやれば良いのに、「相手から何かされるかも。」、「〇〇と思われるかも。」と思い込んでいるのもストレスなのである。
ただ、生きていれば何かの集団に所属することも多いし、例えば仕事場で係やリーダーなどの役などを任されてしまうこともあるので、なかなかそうもいかないだろう。
こうした時でも相手を無理やりコントロールしようとするのではなく、相手との普段の会話や、情報提供や情報共有、作業した時のフィードバックなどのやり取りを通して対応していった方が良い。
また、言葉のかけ方を意識したり、役割や担当などを作ってみたりなど、相手の良い部分を引き出すきっかけとなる材料が増えるようにしてみるだけでも、多少は変わるものだろう。
何にしても、自分の先入観や決めつけだけでなく、今目の前で起きたり、見たり聞いたりした事実からしっかりと判断することで、おかしな期待は抱かなくても済むようになっていくのだ。
何かを考えて良い結果が出る方法を思いつくのであれば、それを試せば良いのだろうが、なかなかそうもいかない。
だから、相手がこのように動いてくれたらいいのにと思って、本当に動いてくれたら良いのだろうが、ほぼ確実にそうはならない。
それは何の意味もないということに、もうそろそろ気付くべきなのではないだろうか。
恐らく、今の時点の状態でよいので、相手に話をしてしまうのが一番早いだろう。
相手に上手く伝わって、理解もしてくれたのなら上々の結果だろうし、「期待するより行動せよ」ということが身をもって分かるのだ。
上手く伝えられなかったのなら、さっさと「自分の課題」に目を向けて、さっさと改善するのだ。
結局、自分と相手は別々の生き物なのだから、過剰に操作しようとしたり、思い通りにならないようなことを期待するということは、ただ疲れる以外の何物でもないのである。
神様みたいな存在ではないのだから、相手の頭の中を全て把握できるとか、何百手も先の予測のすべてに対応ができるということもない。
ゲームのようにリセットボタンもセーブもないのだから、さっきのところからもう一度やり直すとか、最初からやり直すということもできない。
自分のコントロールの範囲ではないことに対して期待したって、「残念」、「がっかり」、「裏切られた」、というような、損をすることしかないのだ。
ただ、もしも何かの試合や大会などで、大切な友人に勝利を期待したり成功を願うというのなら、どんどんそうしてあげた方が良い。
もしも、人生の一大イベントなどで、良い縁に恵まれたり素晴らしい出来事が起こって欲しいと期待したり祈ったりするというのなら、それもどんどんそうしてあげた方が良い。
しかし、こと「アイツがああしてくれたら自分が上手くいくのに」というような種類の期待であれば、そういう期待はしないに越したことはないだろう。
そして、自分の課題が見えているのに見ていないのならば、早く頭を切り替えることだ。
事実として、ただシンプルに、実際にやったこと、起きたこと、言ったこと、言われたことなどから切り分けて、地道に調整したり、積み重ねていく他ないのである。