人の目を気にしすぎてしまうことについて

 
 人の目、顔、発言やその内容が気になる、という人は多いと思う。
 そのせいで萎縮してしまってチャンスを逃したり、自分の実力を半分も発揮できなかった、などということもあるだろう。
 
 だから、人の目が気にならない人になりたい。
 人の目が気にならなくなれば、自分はもっとうまくいっていたんじゃないか。
 そう思いながら今日も眠りに着く人がいるのかもしれない。
 
 ただ、人の目が気になるというのは、そんなに悪いことなのだろうか。
 もしも人の目が全く気にならない人生だったら、それはどのようなものだろうか。
 
 
 
 人は、社会生活を行う生き物である。
 一人では生きていけない生き物である。
 その点を考えると、人の目が気になったり、調和したり、息を合わせたり、突発的で衝動的な行動をしないようにするということは、その社会生活においては最低限必要なことである。
 
 もし人の目が本当に気にならなければ、身だしなみも整えないだろうし、他人が嫌がることを平気でするという人ばかりになってしまうだろう。
 まあ、長い人生のうちで多少は出会うかもしれないが、一般的には度を越えてそういう人は滅多にいない。
 
 「人の目を気にする」というのは立派な才能、或いは、人間として必要な能力であり、配慮でもあるのだ。
 普通に生きていれば、家族や友達など身近な人との付き合いをはじめ、学校や会社などの環境に馴染んだり調和していくためには最低限必要な能力なので、人の目が気になるというのは当たり前のことである。
 こうした点で見てみると、少し心は落ち着くのではないだろうか。
 
 
 
 さて、それよりも、自分が進みたい方向を定めていくことの方が大切である。
 自分はどう生きていきたいのか、何をしたいのか、どういう人間なのか、ということに向き合っていくことが、対処の一つとなる。
 自分の軸ができていれば、少しくらい人の目が気になったって別に構わないと思えるようになっていくものだ。
 
 せめて、自分のやりたいことが自分の中で定まっていれば、他の人の目があったり意見を言われたとしても、「自分はこうしたい」と言える。
 自分の軸があるので、決して頑固という意味でも喧嘩腰でもなく、「あなたの意見は尊重しますが、私はこうしたい。」と言えるのだ。
 
 だから、人の目を凄く気にしたり、いつも人の顔色を伺ってばかりいるような人は、恐らく自分がどうしていいのかよく分かっていない、自分の考えや行動が定まっていない人なのかもしれない。
 もし定まっていれば、「自分は自分、人は人。」となる。
 今の時点では、もっと自分と向き合うということをしても良いのではないか。
 
 また、自分に対して自信を持てない人も同じである。
 長所や良い点というものは、必ず誰にでも備わっているのだ。
 であれば、自分の好きなこと、得意なこと、性格、特性、能力、適性などといったことに焦点を当てて、自分と向き合ってみるべきだろう。
 自分とまだ向き合っていないから、他人に迎合してしまったり、自分を押し殺して相手に適当に合わせたり流したりしてしまうのだ。
 
 
 
 ところで、「人の目が気になる」と言っている時、あなたのその目は一体どこに向いているのだろうか。
 もしかして、本当はやりたいことや到達したい場所があるのに、他人に何かを言われて下ばかりを見ている癖がついてしまっているのではないだろうか。
 
 他人の中には、かなり親身になったり冷静になってあなたの支えになってくれるような、大切に扱うべき他人もいる。
 このような人達とは、できれば末長く付き合えるようにしていきたいものである。
 
 しかし、あまり言いたくはないが、正直なところ、「あなたに頭一つ抜け出て欲しくない」と思って足を引っ張りたいだけの人や、「あなたはいつでも私の下にいて当然」と思っている、かなり残念な人もいるのだ。
 
 後者の酷い人達は、自分から何かを言うことはない。
 巧みに「人の目」を使って、あなたの判断と責任で、自分から勝手に退いたり失敗するように仕向ける。
 そして「私は悪くない。誰も悪くない。あなたが悪いのかどうかなんて知らない。」となる。
 
 この辺りのことについては、何回かは悔しい思いをすることもあるかもしれないが、よく見て、知って、少しずつでも対処できるようにしておくことだ。
 その時のあなたの目は、他人から見て「人の目」となる。
 
 しかし、もし人の目を気にして下ばかり見ている癖がついていたならば、いいようにやられっぱなしになる。
 この場合、人の目を気にしていることによって、確実に食い物にされるだけなのである。
 自分のすべきことは確実に見据えた上で、後者の類の人達には決して、自分の才能も、技術も、時間も、金銭も、何一つ捧げないようにしなければならないのだ。
 
 
 
 それにしても、他人の目を気にして自分の人生の時間を削ってばかりいるというのは、ただただ勿体ないことである。