知っての通り、「できない」と「やらない」は違うものである。
ただ、「できない」ということについては、実際にできないかどうかは関係なくそう思い込んでいる、或いは、「やりたくない」と思っているというのが実態であることが多いだろう。
例えば音楽指導で、「来週また来るまでの間、個人練習をしてみたらどうですか」と言うことがある。
やる人には様々な取り組み方があるが、取り組んだ結果思い通りにいかないレベルで終わったとか、水曜日と木曜日は風邪を引いて休んでしまったためできなかったけど他の日はやれた、というのなら分かる。
しかし、間髪入れずに「できません」という人の場合、「自分にはできそうもない」と思い込んでいる一種の囚われがあるか、「ただやりたくないだけ」なのである。
できるかできないかについては、やってみないと分からないのだ。
やってみた結果できなかったというのなら分かるが、できないと即答するのは、ただの思い込みなのだ。
「できない」ということには、段階がある。
例えば、ある数小節の反復練習について、1回目はできなくても2、3回目でできるようになることはある。
また、5回連続で成功できなくても、2回連続でならうまくいくかもしれない。
或いは、1回も通して成功できないけど、1回目の途中までならうまくいくかもしれない。
できないことに取り組む時は、最初から理想の形を完璧にできる必要はないのだ。
むしろ、最初はできなかったり上手くいかなかったりして当たり前である。
だから、あまり心配し過ぎずに取り組んでいくとよい。
もちろんどんな指導者でも、最初から理想の形だけを押し付けるだけで、やり方も教えなければフィードバックもしないという者はいない。
なぜなら、人それぞれに様々な段階を経てできるようになっていくからである。
そして、これからできるようになる人は、そもそも理想の形もそこに辿り着く道筋も知らなかったり曖昧だったりするから、最初のうちは不安なことだらけだということも知っているからである。
しかし「できない」と即答してまったく行動に移さない人は永久に「できない」し、できるはずもないのだ。
できるようになりたければ、失敗してもいいからやっていくことだ。
失敗というか、それは「ただの経験」であり、「ただのトレーニング」なのだ。
だから、もし「できない」と言うことが口癖になってしまっていて尻込みしているとしたら、今の段階でできるかできないかに関係なく、「とりあえずやってみる」ということが重要である。
そして実際にやってみたら、手応えを感じたりやったことを振り返ってみたりするとよい。
もしできる手応えがあったら、それをいつでも使えるように反復練習して自分に定着させていけばいいし、足りなければ練習を繰り返したり勉強して補足していけば、少しずつできるようになっていくのだ。
「できない」と即答するのは、そもそもが0か100かの二択の思考になってしまっているのかもしれない。
その考えでいくと、世の中のほとんどのことはまだ経験していないのだから、「できない」となる。
新しいことや初めてやることなんて、できないに決まっているのだ。
だからこそ、そこでやってみるという選択をしない限り、ずっとできないままだということを理解した方が良いだろう。
ここでの例は音楽の指導においてだったが、誰でもどの分野でも、自分で自分を成長させたりこれから先の可能性を広げた方が色々なことができるようになるし、将来も楽しいものになるだろうと思う。
もしかしたら命に危険があるとか、大勢に取り返しのつかない迷惑をかけるなどという例外でなければ、自分の可能性を広げる選択肢を選んでいった方がよいが、「できない」と即答してしまうと、そこで自ら可能性を閉ざして現状維持を選んでしまうことになる。
だからまずは、やってみることだ。
そして、手応えを見る。
ちょっとくらいできなくたって命がなくなるわけじゃないし、今所属している組織から追放されてしまうわけでもないのだ。
「やってみる」ことで自分の経験も蓄積され、最初はできなかったこともできるようになって、少しずつ実力も上がっていくのだ。
「できない」を「できる」に変えるには、「やってみる」しかないのである。
もしも「できない」という口癖がついてしまっている人がいたら、「できる」と断言してしまうとまではいかなくとも、せめて「やってみます」とか、「やります」とか、「やれるだけ試してみます」などという前向きな言葉に変えてみるとよいだろう。
「自分には可能性がある」と思えるような言葉を使えば、実際に可能性も広がっていくものなのだ。
これからは、自分の可能性を閉ざす言葉を増やすのではなく、自分の可能性を広げる言葉をできるだけ多く使うようにするとよい。
そして、「できない」、「無理」などという言葉をすぐに使わないようにする。
そうするだけでも人生は少しずつ変わり始め、やがて大きく変わっていくことになるだろう。