①人に親切にする
「人に親切にすることで、相手からも親切が返ってくる」ということを循環させて、だんだんと良い人間関係にしていくということである。
これを続けていくことで、良い人達に囲まれていく。
これがまず一点目で、「自分が親切の最初の一人目になる」ということである。
次に、「人から親切にされたら、自分も親切にできることを周りの人にしてあげる」ことである。
何か人よりも得意なことや、良いことがあって上機嫌な時など、気持ちに余裕がある時くらいは、その気持ちの余裕分を使って人に親切にしてあげるのだ。
また、「自分よりも先に誰かが人に親切にしている時かつ自分にも余裕がある時は、親切の輪を広げていく役割に回ってあげる」とよいだろう。
基本的には、好き嫌いで分けずに誰にでもきちんと挨拶したり、忘れずに「ありがとう」と感謝したり、「何か手伝えることはありますか」などという何気ない一言でいいので、自分から声をかけてあげる気持ちが大切である。
②自分を変えた方が楽なことは、変える
他人を変えることができればそれが理想なのだろうが、それはまず難しいことである。
ほとんどのことにおいては、過去と他人は変えられないと思っていた方がよいだろう。
一例として、野菜嫌いの子供に「食べなさい」と叱って食べさせるのもそこの家のやり方だろうが、自分の料理のレパートリーを増やしてみることもできるだろう。
そのやり方は、ちょっとネットでも調べてみて「子供ウケをした○○料理のレシピ」などで好評なものを真似てみるとか、その嫌いな野菜の料理を上手に取り扱っているレストランなどに、たまには家族揃って出かけていき、実際に食べてみて学んでみてもよいだろう。
いずれにしても、楽しめそうなやり方で、楽しんでやってみることである。
上の例では子供の野菜嫌いだったので良心的な一例だったかもしれないが、その一方で、世の中には意地悪な人、我儘な人、ずるい人などがたくさんいるものだ。
そのような人達を相手に怒ったり腹を立てたり、「お願いだから話を聞いて」とへりくだってみたって自分が疲弊するだけなのだから、「なんでそんな奴らのために自分が変わらないといけないんだ」などと思わずに、さっさと変えた方がいい。
なぜなら、このような人たちに「戦い方が一手しかない」とか「一本槍で機転のきかないバカだ」ということがバレてしまうと、一生いいように扱われてしまうことになるからである。
お釈迦様だって「自分を変えるのがもっとも楽な道だ」と言っているくらいなのだから、まず手始めに本屋でも図書館でも行ってみて、人間関係に関する本の一冊でも手に取ってみれば良いだろう。
③他人の長所を見るようにする
他人の短所ばかり見ている人は、どこへ行っても嫌な人にばかり出会うものである。
一方、他人の長所ばかりを見ている人は、どこへ行ってもいい人にばかり出会うものである。
人間の脳は、目で見て注目しているものを実際よりも大きく捉える性質があると言われている。
分かりやすい例だと、綺麗な満月の様子などを写真に撮った後に実際と見比べてみると、その大きさの捉え方に著しい違いがあることに気がつく。
近年話題になっていた月食やスーパームーンなどを思い出してみると、記憶に新しいことだろう。
人間を見る時も同様に、短所に目を向けているとその短所ばかりが大きく見えて、実際には長所もたくさんあるのにそれが隠れてしまうのだ。
だから、「自分の周りは嫌な奴らばっかりだ」となってしまうのだ。
例えば「この会社はブラック企業だから転職しよう」と思う人もいれば、「この職場、結構自分に合って好きかも」と思う人もいるように、短所や悪いところに目が行くか、長所や良いところに目が行くかで、現実を見る上では大きな違いになるのである。
そもそも大多数の人は、自分や他人の短所を見つける天才なので、まず自分自身が心に余裕を持つようにして、自分や身近な人の長所や良いところを一つでも二つでも良いから、意識して探してみることである。
そうすれば、嫌な上司や先輩も「いざとなれば頼りになる人」だと分かるだろう。
口の悪いあいつも「どんな相手でも状況でも物怖じしない人」だと分かるだろう。
いつも一本抜けてる鈍間と思っている人も、「誰にでも明るく笑顔で挨拶してくれる礼儀正しい人」だと分かるだろう。
もちろん、根拠のないお花畑の妄想を繰り広げるのではなく、人間や物事を冷静に見定められるようになることが大切であるが、「あの人にも良いところがあるのだ」と長所を見ていくことができるようになれば、良い人たちに囲まれて暮らせるきっかけに繋がっていくのである。