人の心が塞がってしまう時は、大抵は希望を失ってしまった時です。
これは「生きる希望」に限定した話ではなく、辛かったり苦しかったりしていて藻掻いてでも前に進むこととや、成すべきことが見えなくなってしまっている時にも当てはまることかと思います。
ですから、どんな時でも「未来は明るい」、「前向きに生きる」というようなことをイメージしたり、そもそもそうすると決めておくなどして、希望だけは捨てないようにすることが大切です。
「それができれば苦労はしないよ」と思うかもしれませんが、まあそういうように思うことは誰にでもありますから、普段にほんの数秒思い描くだけのところから始めれば良いと思います。
また、嬉しいことや良い事というのは、少しだけ時間が空いてから巡ってくるものと思っておいた方が過剰な期待や焦りの負荷を減らせることもあるでしょう。
さて、自分のすべきことや自分と合う人達とピッタリとハマる環境や、楽しんで生きられるというような場所は、それ探す事さえやめずにいれば、また、自分の経験を重ねたりや視野を広げていけば必ずどこかに見つかるものです。
その時のためにも、どんな小さなことでもよいので、楽しむ事をする時間を作っておくとよいです。
「人生は楽しむ為にある」という言葉を時折聞きますが、自分が楽しい思える事をしているからこそ人生の歯車がハマったタイミングとほぼ同時に、自分の背中を押し始めてくれることになるのでしょう。
まずは、「明日は今日よりいい日になる」と希望を持って自分で自分の事を信じ、少しの勇気を出して、今日のためにできる行動を始めてみることです。
それから、人というのは自分が思ってる以上にずっと「できる」ものですし、優秀だし、可能性を持っています。
また、誰かに大切にされるべき存在でもあるし、誰かを大切にすることができる存在でもあります。
「その人の価値」というものはどこかに必ずあるもので、価値のない人間は存在しないのです。
しかし世の中では、例えば他人から批判されたり馬鹿にされたりなど、実に下らない理由で希望を失ってしまう状況に遭遇してしまうことがあります。
こういう時は、まずは他人にどんなに下げられようとも、自分の評価を自分自身で今よりも下げないことが大切です。
自分の評価を自分で下げてしまうと、「どうせ自分は○○」と、自分の限界を自分で作ってしまうことになります。
これが始まってしまうと、何をしようとしても億劫になり、動きも鈍くなっていき、新しい経験をしたいと思う心も、成長する機会を得られる場に行きたいという気持ちも減り、「自分なんてこのくらいのものだ」と自尊心まで下げるようになります。
そうしてだんだんと自分が嫌いになり、自分を信じることができなくなって、人生について考えて奮起する機会や生きる楽しみもなくなり、つまらないものになっていきます。
やがて社会や政治に不満を募らせ、口を開けば愚痴ばかりが出るようになります。
そのうちに、自分と同じような考えの人に囲まれて、人生にも自分自身にも、希望が見出せなくなっていくのです。
自分が自分自身や自分の人生に対して抱く希望は、何よりも大切にすべきです。
誰に言う必要もありませんから、恥ずかしがらずに自分の言葉で自分の中に持っていればよいのです。
よく自己啓発などで「ビジョンを実現したいのなら口に出そう」と言いますが、まだまだその手前の段階でまだ自分の心の中の小さな灯火くらいの希望ならば話は別であって、今は温め育てていくことにしておいて、いずれ人前で言えるようになった時に言えばよいのです。
「他人に何を言われようと自分には価値があるのだし、強く生きられるのだ」と、そう思ってください。
人から何かゴチャゴチャ言われたくらいで希望を失ったり先が見えなくなったり、「自分なんかが希望を持っていてもよいのか」と思うのは、その相手の人生の時間を生きることになりますから、簡単に差し出さないようにしてください。
もし自分の希望を大勢の前で突然言うことになったら、そりゃあ恥ずかしかったり照れくさかったりするかもしれませんが、希望を持って生きるのはその人の勝手ですし、自分は大きな希望を抱くことにするというのならそれもその人の自由なので、堂々と「自分は自分の人生をこうしていきたい」という希望を持って、実現に向けて大きく育てながら取り組んでいけばよいのです。
自分を信じ、本来は楽しいはずの人生を前向きに生きるためにも、希望を持つことは大切なのです。