成功が近づいている時の現実的な兆候について


①理不尽な噂を立てられる
 理不尽な噂なんて、立てられて普通だと思っておくことです。
 ただ、本当に厄介ごとに巻き込まれて時間をとられるのは問題ですから、何かを判断したり実行した際の主旨や、理由などは自分の言葉で言えるようにしておくとよいです。

 変な噂をして火の無い所に煙を立てて面白がる人達の目的は、高い位置に抜きん出ようとしている人を自分たちと同じ位置まで足を引っ張って下げることなのですから、そういう噂はいつも下にいるグループから上にいるグループに向かって発信されているのです。
 
 もっと言えば、ずる賢い人は鼻が利くので、真面目で優しくて質実剛健を地で行くようなあなたは狙われやすいのです。
 理不尽な噂を流せば、「自分はやっぱりダメなのかも」と自分から思い込んで諦めると思われているのです。

 もし自分が、主観的にも客観的にも正しいと思われる行動をしているとか、周りの人の役に立つように誠実に行動しているなどにもかかわらず周りから理不尽な噂を立てられたら、自分の方が周りよりも上にいるということは確定的だと考えてもよいでしょう。

 つまり、不当に周りに流されることなく、不安を煽られてそれに屈することなく、自分の成すべきことをしっかりとこなし続けていけば、そう遠くないうちに成功できる範囲には入れているということです。

 


②周囲から顰蹙を買う
 顰蹙を買うのは成功の必要条件です。
 もちろん、最低限の社会的マナーは守るべきですが。
 その上で、自分としては至って真面目にやったにもかかわらず、周囲の顰蹙を買ってしまった場合は、後でこっそり喜んでよいです。

 なぜなら、それはあなたが、周りよりも頭一つ抜きんでた、出し抜いたということだからです。
 或いは、あなた自身が発見した物事やこれまで伸ばしてきた才能や技術の力をもって、今まで誰も気づかなかった世間の常識の壁に風穴を開け、誰もができなかったことに対して結果を出したということです。

 昔ながらの古い価値観やしきたりを守ることはもちろん大切な一面ではありますが、今生きている世の中に合わせて柔軟に対応していくことも大切です。
 誰もやったことがなかったり前例のないことであったりする時でも、上手に切り抜けなければならない局面では、矢面に立って何とか行動を起こしていかなければ、前に進んではいかれないでしょう。
 それを「今だけ」とか「古いものだけ」などと囚われて視野が狭くなっている状態では、顰蹙を買うことなどできないのです。

 人のために矢面に立って傷ついたとしても前に進んでいくことができるという、思い遣りがあって勇敢なあなたは、ずる賢い人に狙われやすいのです。
 ずる賢い人は、たとえ自分一人になっても「そんなのズルい」と面と向かって言えないから、みんなで顰蹙を買わせるのです。
 周囲から顰蹙を買えば、「自分が身に付けてきた力もアイデアも、誰にも認めてもらえなかったんだ」と、自分から思い込んで手を引くと思われているのです。

 


③孤独を経験する
 これは、「独りぼっち」、「周囲から浮く」など、様々な言い方があるかと思います。
 他人から見たら何てことのないことであっても、自分にしてみたら使命だと感じるくらいに興味や信念を持って熱心に取り組む、ということはたまにはあることでしょう。
 要は、そういう時に、周りの人の方がついてこれないのです。

 周りの人にもその人にとっての人生がありますから、それがあなたのように「たとえ自分一人になっても成し遂げる」というものなのか、例えば「既にある組織や集団に入ってそこで活躍すること」なのかは、その人やその状況になってみないと分かりませんから、どちらが良いか悪いかなんて分かりません。

 また、あなたのやっていることに、「時代の先を行き過ぎて周りがついてこれない」とか、「当初思っていたのと違う」とか、「それでお金を稼いで生活できるか不透明だ」というように周囲の共感を得られないこともありますから、仕方のないことでもあります。
 熱意や信念があっても、倫理や道徳として正しくても、必然的に一人になってしまうことが多いのです。

 ただ言えるのは、そういう時でも腐らずに自分と向き合い、人とは会える時に会っておくことです。
 これから新しく訪れる出会いが真の出会いとなってその後の道が開けるかどうかは、とことん自分と向き合った者同士が出会ってみないと分かりません。
 お互いが孤独を経験するほどまでに自分や自分の向き合うべき物事に向き合ってきたからこそ、素晴らしい巡り合わせをきっかけにしてうまくいくということがあるのです。

 また、生涯の親友になる人物とは、お互いに名もなく貧しい頃に、既に一度はどこかで出会っていたり、同じ場に居合わせていたりするものです。
 こういう時に、今までの自分が高潔であったかどうかが分かることになりますが、もしそうでなければ出会いもやはりそれなりのものになってしまうのです。