誰かに何か言われて腹を立てたり、ちょっとしたことでもいちいち小言を言ってきたりして、それがいつまでも気になってしまう時があるかと思います。
そういう時は一旦俯瞰して見て、「そのことで今腹を立てている自分がいる」という視点に気づくことが大切です。
自分の中に溜め込みすぎて辛い思いをしたり、言い返したくなって爆発しそうになることは誰にでもあることですから、そのこと自体を否定する必要はありません。
それよりも大事なのは、「それも自分である」と一旦受け止めて肯定してみることなのです。
一般的に自己肯定感と言われるものは「前向きで積極的な態度」という印象が強いようですが、実際のところはそればかりでなく、「どうしようもない時の自分も認める」ということも自分を肯定するという面もあります。
人から何かを言われて受け流せずに、「それを何とか変えたい」と思うことは自己否定とも言えますから、そうすればするほど自己肯定感は下がって他人の感情に流されるようになってしまうでしょう。
ダメな自分であっても「それも自分である」と一旦は受け入れてみれば、少なくとも客観視して冷静になることくらいはできるはずです。
何にしろ、一旦は自分の事を受け止めて見てみない限りは何を改善すべきかも分からないでしょうから、その後に「何かを変えていこう!」と思うことも行動することも不可能になってしまいます。
自分の悪いところをすべて放ったらかしにして、良いところだけを探そうとしたってうまくいくわけはないのです。
自分の中で何かを変えたいと思う時は、まずはダメな自分であっても一旦受け止める必要があります。
冒頭の流れで言うなら、「○○さんに何か言われて腹が立った自分がいる」ということをまずは認識して、それに対して後から解釈をしていくことです。
するとその次には、「言い返さずに我慢した自分は凄い」となっていくものなのですが、そこで多くの場合は感情的になってしまうので、自分が見えなくなってしまうことになるのです。
人から何か言われるにしても、言われた自分が気にするにしても、そこには様々な状況や経緯があるのでしょうが、もし他人の小言がずっと気になってしまうくらいストレスを溜め込み続けているのなら、「まずは自分のことが見えていればそれでよい」と考える方がよいのです。
仮にその時点で上手に受け流せなかったとしても、それよりも「事実を事実として観察できる」ということの方が重要なのです。
受け流すにしたって、まずは一旦受け止めて、客観的に自分のことが見えていない限り受け流すことはできないのです。
このような自己観察以外にも、メモや記録や日記などとして、まとめて文章化しておくこともよいです。
自分の状態を観察して平常心に持っていったら、後でそれを思い出したり読み返してみて、「ではどうすれば良かったのか」を書き出して対処法を考え、その詳細も書き出してみることで自己洞察が進んでいくからです。
人から何かを言われて受け流すというのは、「結果として受け流している」というだけである。
客観的に自分を観察することができるから、受け流せるようになるのです。
なぜなら、自分のことを冷静に観察できているのであれば、それはその自分を自然と受け流しているのと同じことであると言えるからです。