できない人を育てるには

 
●「褒める」、「叱る」の手前にしておくべきこと
「褒める」、「叱る」というのは、その現場でやらないといけないが、
そもそもの土台として「承認する」というベースがなければ、
その「褒める」、「叱る」という意図も熱量も、相手には届かないだろう。
 
「あの人は自分の事を見てくれているんだ」という感覚を持って、
相手があなたのことを思っているかどうかということが重要なのである。
普段から見てくれてもいない人から褒められてたって嬉しくはないし、
その反対に叱られたとしても、受け取ってもらえることはないのだ。
 
そうではなく、うまくいかない時からずっと見てくれていた人が、
いざ成長した時に褒めてくれたら、天にも昇る気持ちになるほど嬉しく思うものであり、
失敗した時に「お前らしくない」と叱られても、素直に受け止め愛情を感じるものなのだ。
 
「褒める」、「叱る」は、特別な状況下におけるコミュニケーションだと考えた方が自然だろう。
なぜならそのようにした結果、相手に伝わって欲しいと思っているものが実際に届くかどうかは、
常日頃から相手を「承認する」という土台が有ったか無かったかですべて決まるからである。
 
そこまで含めて「コミュニケーション」であり、その総量がどのくらい積み上がるかも、
やりとりに必要な時間も量も、何もかも最初から最後までまったく見えないのである。
 
 
 
●承認のバケツの話
すべての人は見えないバケツを持っており、
そこを水で満たしてほしい(= 承認されたい)と願っている。
このバケツが溢れる時に人は変わる(= 成長、変化)、という話がある。
 
周りの人々はあなたの成長を願って、手酌で水を注ぐしかない。
その水位が今どのくらいなのかは誰にも分からないし、
溜まった割合に見合った変化も見えないが、
水が溢れた瞬間に突然変わるのである。
 
しかも、最後の一掬いは自分とは限らず、
誰かもどのタイミングで注ぐのかも分からない。
 
実際には、目には見えないが、小さな変化は起きている。
しかし現実には、「ここまでやってあげている割には」という気持ちがどこかに入ってしまうので、
相手が良くなろうとして頑張っている小さな変化にも、気づかなくなってしまう。
 
本当にムラなく、差異も、ひいきも、偏りも何もなく、相手の変化に気づくのは難しい。
なぜなら関わる人は、「関わった分だけ変わって欲しい」という気持ちがどこかにあるからである。
「関わった分」は関わった側にあるが、関わられた側には一欠けらもないのだ。
そのズレがあるので、「鳴くまで待とうホトトギス」レベルの忍耐力がいるのだ。
 
コツは一つしかない。
自分が接している相手は「変わりつつある人」、「良くなりつつある人」
だと信じて続けることである。