大したことのない人が群れてベテランを追い落とすと、その組織が程なく壊滅する理由

 
会社、学校、政治、何かの団体、習い事でさえも、
その組織のために誠実に長い間貢献してくれていた人が、
色々な理由をつけられて一方的にどかされてしまう、ということがある。
 
その組織の規則に正当に則って、ということであれば別だが、
残念ながら声だけ大きい人の鶴の一声や嫉妬で動いてしまうことも現実にはある。
 
例えば、
・なんか長く居て邪魔くさいから、時代遅れのレッテルを貼ってどかす
・なんか気にくわないから、本人抜きでみんなで意見をまとめてその人をどかす
・自分たちの思い通りにならないから、確かな実績があってもその人をどかす
 
まあ、人が集まるところでのことなので、仕方ないと言えば仕方ないだろう。
また、これに加えて、新たな対抗馬として周囲に祭り上げられてしまう人もまた、
たとえ実力がまったく伴っていなくても、優秀に見えてしまうものでもある。
 
しかし実際には、新しく立ったからと言って急に優秀になるわけではないのだ。
 
 
 
仮に、新たな対抗馬Aさん(3年目)と、ベテランBさん(10年目)がいるとする。
仕事の実務力や学習力を「入力」、その結果や問題解決力を「出力」とする。
そして仮に、Aさんは入力10に対して出力2、Bさんは入力10に対して出力7とする。
 
Aさん:入力10 → 出力2
Bさん:入力10 → 出力7
 
Aさんを、みんなで寄ってたかって応援し、権力も情報も集めて入力を100にすれば、
出力は20になり、表面的にはBさんの出力7を上回る。
 
Aさん:入力100 → 出力20
Bさん:入力10 → 出力7
 
しかし、仮にBさんをみんなで応援した場合、入力を100にできれば出力は70になる。
Aさんを祭り上げたところで、出力できなかった分の80は機会損失となり、
これがBさんならば30となる。
 
この部分を考えられず、感情にまかせて踏み切ってしまうのだ。
そして恐らく、その後のことは誰も考えてはいないのだ。
たとえ「何か嫌だから」とか、「何となく」という理由であっても、
とにかくその対象を追い落としさえすれば、それでいいのだ。
 
多くの場合は、こういったくだらない身勝手さが原因なのである。
 
そして、くだらない理由から採るべき選択肢を間違えると、
その組織はその後崩れていくのにそう時間はかからない。
 
Aさんは祭り上げられた手前もあるから、その後は一生懸命やるだろう。
そしてやがて、自分をすり減らすだろう。
もしかしたら頑張って才能を開花するかもしれないが、それはAさん次第である。
 
周りとしても、Bさんを追い落とせたとしても、主導権はAさんに移っただけなので、
しばらく後に不満は再燃することになり、やがて新たにCさんという対抗馬に立て、
また今回と同じようなことが繰り返されるだろう。
 
Bさんにとっては残念な事であるが、きっと他でもうまくやっていけるに違いない。
そして、Bさんにしかできなかったものや気づけなかったものを総取りしている事だろう。
 
 
 
投票や多数決や選挙といった仕組みは、
普通なら公平性をある程度は保つことができるのかもしれない。
 
しかし、不当な理由によって有能でない者を祭り上げ、
新たな存在を誕生させた結果はどうなるかと言えば、
「新しい人も立ったし、みんなで立てたのだから、その人は優秀。」
とはならない。
 
組織の力学という上では、多少の解釈を試みることもできるのかもしれないが、
まあ、「出てきた結果は偽りである」ということに変わりはないだろう。
 
ちなみに、Aさんが普通に仕事をした結果、出力が2ということであれば、
入力情報を高出力に変える努力を怠ってきた明らかな勉強不足の人である。
それを祭り上げた人達も、見込み違いで見当違いである上に、
思い通りに扱うこともできないのだから、完全な馬鹿者の集団ということになる。
 
Bさんは今回は優秀な人材のイメージだったかもしれないが、
仮に裏があったり手段を選ばないような人間であれば、その後の存続は危ういだろう。
 
 
 
人の好みはそれぞれであるが、実務能力や周囲との調整能力、
集団の目的やこれまでの経緯と言ったものを含めて平均を上回り、
その集団のために長く居てくれて誠実である者こそが、
やはり矢面に立って進んでいくべきである。
 
そして、どんな組織でも何らかの目的を持ち、その発展と存続のために、
多くのことを決断して乗り越えてきている。
そのための方策や指針、規則と言ったものも当然あるだろうし、
その上にブランド力、集客力、競合の相手、競争力などというものも乗ってくるだろう。
 
こういった流れがある中で、
一部の人のくだらない陰口や浅はかな鶴の一声は、
ほぼ間違いなく誤った結果を招くのだ。
 
追い落とさそうとしている対象は、果たして本当に能力や実績がないのだろうか。
今自分の横にいる者は、追い落とすこと以外にも周りが見えているのだろうか。
そのようにすることは、客観的に見てどうなのか。
その後にどのような影響を与えることになるのか。
自分でよく見て判断する必要がある。
 
 
 
またこういうことは、自分が人生で本当に大切なことに向き合っている時でさえも、
心の底からくだらない一方的な相手の理由で、群がって勢いを付けて、
こちらを無しにしようとしたり、さらに目的の変更を求めてくることすらある。
 
その時は間違いなく、「やだ」じゃ済まされない。
 
だから普段から様々な状況を想定して、
今いる場所で核となる力と技術を身に付けることに加え、
相手や本質をよく見抜く力と、うまく立ち回る力を養っておくことが大切である。