配慮してほしいのか、贔屓してほしいのかを知る

 
音楽指導をしていると、その対象の子供の発育の様子により、
同じ事柄や技術でも、対処の仕方を変えることがあります。
ここに書くことがすべてではありませんが、一例として。
 
 
 
努力を努力と思わずに一生懸命な子には、自分で乗り越えさせてみます。
失敗したら自分で考えさせて、次にどうするのか聞いてみます。
さっと判断できるならやらせてみて、出来たら褒めて、自信をつけさせていきます。
 
もう少しで自分でなんとかできそうな子は、ヒントを与えます。
今まで知らなかった考え方や事実、理論などがあることを知ってもらいます。
あるいは思い出してもらいます。
その後、自分のやり方をどうすべきか、時には一緒に道筋を立て、背中を押します。
 
自分で考えてみた結果分からなかった子には、例えばもう一度見本を見せて、
その見本や理想のかたちと現在の自分とを比較させてみます。
何かに気付けばその差を埋めていきます。
 
これらはどれも、段階や状況に応じた配慮です。
 
中には、努力してもなかなか難しい子や、早生まれで追いつくのがやっとの子や、
周りに比べて発育がゆっくりな子や、そもそも努力することが難しい子がいます。
そういう場合はこれらについても、客観的に合理的に見て配慮できるよう、
他の先生方や保護者の方と話をしながら対処することもあります。
 
 
 
しかし、練習すらしていないとか、覚えるべきことをほとんど覚えていないとか、
自分の怠惰によって事が進まず、さじを投げていることが明らかなのに、
「一生懸命やってます。ちゃんとやってます。でもできない。(だから配慮して。)」
とアピールしてくる子がいることが、中にはあります。
 
結果だけ言うと、この場合は、明らかに反復回数が足りていないことがほとんどです。
 
しかし、こういう時はすぐに怒らずに(時には怒ることも必要かもしれませんが)、
練習のやり方そのものや、反復のやり方、自分のペースと他人のペースの差、
いつまでにどの程度の量や技術を、どのくらいの水準でこなさなければならないか、
ということからもう一度教えていき、相手を信じてあげる必要があるでしょう。
 
そしてこれに対する反応も、自分の言葉で可能な限り何とかしようと質問してきたり、
「あれ」、「これ」を使って、ぼんやりとした言葉ながらも何かを伝えようとしてきたり、
うつむいているだけで、こちらが声を掛けるのを待っているという場合もあります。
 
この例の場合の子は、文章だけで見るとちょっとズルい子に見えるかもしれませんが、
小・中学生くらいなら、やるべきことが分からない、気付けない、忘れちゃった、
などという初歩的なところで躓いたことが後を引いてしまっていたり、
初めてのことなので、分かったつもりで実は分かっていなかったということもあります。
 
集団によっては、分かっていなくても「ハイ!」と返事をする習慣があることも…。
 
肝心なところが抜け落ちているばかりに、周りからはだらしなく見られてしまうのに、
本人は一生懸命で空回りしてしまったり、抜け落ちがあるのに気づいていない、
という場合は、これを機に正してあげるとよいでしょう。
 
多くの音楽指導者たちは、音楽の素晴らしさや、演奏技術や奏法、
といったことを伝えたいと思って実践している方々がほとんどかもしれませんが、
こと幼い子たちを見る指導者たちは、こういった音楽以前の問題に対しても、
ある程度の視点を持っていた方がよいかもしれません(私の例ですが)。
 
ともあれ、状況は様々ではありますが、見えない「配慮して」の裏側に何があるのか、
可能な限りコミュニケーションを取るなり、気づくなり、先例を思い返すなり、
他の適任な人と協力するなりして、解決のきっかけを作ってあげることが大切です。
 
 
 
最も注意すべきは、「配慮してほしい」と言いながら、
実は「贔屓してほしい」を求めてくる子がいた場合です。
 
そういう場合でも、その子を頭から否定したり芽を摘んだりすることなく、
教えるべきことは教え、注意すべきことは注意することです。
 
さらに、真面目にやっている他の人が馬鹿を見ないようにすることです。
これに気付かずにうっかりやってしまうと、今まで積み上げてきたものや、
今まで教えてきたこと、教えてもらってきたことが、あっという間に崩れていきます。
 
普段の姿勢も熱心さも、技術も熟練度も経験年数も大事かもしれませんが、
こういうところをよく見極めることが大切です。