音楽の表現レベルは大会などでは最初の1分以内に見抜かれる

 
 たいそうなタイトルをつけてしまいましたが、これはコンクールやコンテスト、一般的に大会と言われるものにおいてのことであり、決して音楽全てにおいて言っていることではありません。
 こうした大会に出場するにあたっては、何にしても、ルールや課題や規定などの制限がありますから、個人のアドリブソロや自分達の団体の内輪だけでやるような独特の表現を好きなようにやるということは難しいのです(というか、やらないと信じていますが)。
 
 審査の中にはに必須の演奏などが課題として設けられていたり、或いは、丸ごと1曲が課題という場合もあります。
 さらに、6分や、8分や、12分など、エントリーする部門によって制限時間があったりします。
 こうした制限や課題に加えて自分達の人数や楽器の編成も考慮して、「自分達にどのような表現ができるか」、「自分達はどのように表現するか」、ということに向き合っていくことになります。
 
 色々なことを言いましたが、音楽の大会で戦うにしても、「ある程度は押さえておかなければならない基礎」というか土台みたいなものがあって、例えば人間で言えば、身だしなみや清潔感といった第一印象のようなものです。
 そこそこピシッとしてきれいな服を着て明るく元気よくいるのに、「一週間お風呂に入ってないです」とか、「トイレに行った後お尻吹いてないです」とか、かなりNGですよね?
 音楽だって、ちゃんと経験を重ねてきた審査員の方々に審査してもらうのなら、こちらもそれなりにキチンと準備したり、対策や戦略を練っておく必要があるのです。
 
 
 
 では、どんなところに気をつけて演奏したら良いのか。
 例えば管楽器だったら、
  ・音量
  ・音程
  ・音色
 
 打楽器だったら、
  ・テンポ
  ・ビート
  ・リズム
 
 この「例えば」で一例を挙げるなら、一曲目の最初の方にメインテーマがあってそこが見せ場の一つだすると、その最初や最後に吹き伸ばしがあれば、その部分のになります。
 当然、その見せ場に至るまでの流れの作り方や持っていき方も含まれてきます。
 仮に、メインテーマに向けてだんだん盛り上がっていくのであれば、そう持っていくように(音量の大小を問わず)音のかたちが分かるようにハッキリと演奏できているか、などということです。
 
 こうしたところが基本的に土台として見られ、聴かれるのです。
 あくまでも一例ですから、この3つさえやればOKということはありません。
 ただ、どんなに偉い審査員の先生でも、どんなに駆け出しの審査員の先生でも、こうした土台の部分はほぼ確実に狙ってくることでしょう(私も狙います)。
 この土台の上に全体的な音楽としての、一体感、タイミング、強弱、発音、表現の豊かさなどが見られていくことになります(ジャンルによっては上記に挙げたものとは異なる用語が使われることもあるかと思います)。
 
 
 
 ちなみに1分と言ったのは、聴いている側からすれば最初の1分くらいで相手のレベル感を十分想定できるものですし、もしそこからそのまま何も起きずに2分3分と経過してしまったら、そのうち飽きてしまうからです。
 また、演奏する側だって、制限時間のすべてを使って得意なことばかりやっていたら偏るし、一切の弱点を作らずに強みだけで勝負できるかと言えばそんなことはないでしょう。
 
 ですから、戦略的な構成として1分~1分半くらいまでに音楽の流れを作ってメインテーマにもっていく、或いは、もうすぐ主題につながると分かる流れに持っていく、或いは、最初からそういう選曲をする(最初から「もうそれしかないでしょ」と分かる鉄板のもの)、ということが増えてきたこともあります。
 こういうのは、毎年似た様な大会がいくつもあり、それらが本大会も予選大会も合わせて何十年も歴史を重ねていけば、それなりに何らかの流れができていくものですし、ある年にどこかのダークホースが華麗に勝利することがあれば、そのやり方が広まったり「ウチも真似よう」となったりするものなのです。
 
 何にせよ、音楽には様々なジャンルがありますから、「これこそが本当に素晴らしい本物の音楽である」と決めるのは不可能でしょう。
 しかし、大会にエントリーする以上は、「審査される」という事実は変わりません。
 
 その中で、ジャンルを問わず共通して言えることがあるかと言えば、それは、「プレーヤーがどんなことをしようとしていて、それがどのくらい出来ているのか」です。
 ここを踏み外してしまって、何となく演奏してしまう時間が長くなればなるほど、審査員からしてみれば「審査をするための材料が少ない、または、無い時間が続いてしまう」ということになります。
 大事なことなのでもう一度言いますが、「プレーヤーがどんなことをしようとしていて、それがどのくらい出来ているのか」が見られ、聴かれています。
 
 
 
 なお、この話は、いつも銅賞、いつも参加賞、いつも予選敗退、いつも一回戦負け、というような団体で頑張っている方々に向けて書きました。
 プレーヤー側は、ある程度自由度があって選択できますから、最初から強い団体や上手な団体を選べますが、団体側の目線で考えたら、どんな団体でも試行錯誤をして今日まで成長してきているはずです。
 また、団体や他のメンバーに文句を言うよりも、自分も練習を重ねて上達して、協調性を持って頑張ってくれる人が増える方が嬉しいのは間違いありません。
 
 どちらの側の立場で受け取ってみるにしても、冒頭の方に挙げた「音量、音程、音色」や「テンポ、ビート、リズム」の一例のような考えを集合知として保持できるようにしていけば、「毎年同じことの繰り返し」からは脱していくことができるでしょう。
 地域や世代や音楽のジャンルなどによって上記と異なる用語を使っている場合、その辺りは上手く置き換えてお読みいただければ幸いです。
 
 
 
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 さて、自分が曲を書いたり教えにいった団体の成果を目にする季節となりました。
 毎年ドキドキしていますが、今年も「去年よりも上手にできた」とか、「去年よりも良い賞を取れた」とか、「金賞をとって全国大会に行くことができた」ということを聞くのは、やはり嬉しいものです。
 
 その連絡をもらうのとほぼ同時に、自分がやっていることの本質は何か、時代に求められる音楽とはどんなものか、自分がそれをやった結果何が学べたのか(何を学ばせることができたのか)、というようなことに改めて向き合うことになるので、かえって気持ちが引き締まります。
 
 ただ、とりあえず今のところは心の中で「おめでとう」と思って、今日くらいは目標に向けて日々やるべきことをやるための手を一旦休めて、ぐっすり休んでも良い日にしたいと思います。