自分なりのこだわりを出す前に「型」を身に付けること


 自分なりのこだわり、考え、工夫、個性が自由に発想してかたちにできると、かなりカッコ良く見えることでしょう。
 しかし、自分がやりたいことに対してまだ結果も出ていないうちから個性を出そうとすると、うまくいくものもうまくいかなくなることがほとんどですから、まずはこだわりを出す前にできることがあるはずです。

 自分の思ったとおりに、自分のやり方で、自分のペースで行いたいというような考えは誰にでもありますし、すぐにでもやってみたいと思うでしょうが、特に人から習う物事の時は初心者のうちから好きにやってしてしまうのは少し考えものです。

 その場合は「個性を出す」というよりは、「我を出す」に近いでしょう。
 それよりも、早いうちから「型」を身に付けておくことが大切です。

 少し古臭く思われるかもしれませんが、「守破離」という考え方があります。
 経験上、始めのうちや慣れないうちは特に守破離に忠実に進めていく人の方が、伸びるのが圧倒的に速いと感じます。
 ざっくり言えば守破離とは、最初は教えを守り、ある程度しっかりとできるようになったら応用していき、それも十分にできるようになったら自分なりにやってみる、という考え方です。

 分野や年代にもよりますが、要は最初のうちは「教わった通りにやる」、「決まった手順を体に染み付くまで繰り返す」、「マニュアルを漏れも抜けもなく遂行できる」、「テンプレートを使う」、「完コピする」というイメージを持って教わったことをやっていく方が良いということです。
 その反対に、ゼロからすべてを自分のオリジナルで思いつき、それを自力だけで進めていくことは大変難しいので、その点は考える必要はないでしょう。

 また、先に成功したりうまくいった人達に倣った方が本質も一緒に学べるし、効率的だし時間短縮にもなります(「倣う」でも「習う」でもどちらの解釈でもよいですし、どちらもやってみるのもよいです)。
 自分なりに工夫や挑戦をしたり、自分の色を出したり、我を出すというのは、「教えに沿いながらやり、且つ、ある程度以上の結果を常に出せる」という状態になってからで充分なのです。

 

 本来の目的や目標の達成のためには、最適な手段を選ぶことが大切です。
 ですからまずは、変なこだわりを捨てることです(法律やルールは守った上で)。
 目的なり目標なりを達成することの方が重要なはずなのに、それを差し置いてこだわりを優先させていたらおかしいですよね。

 先の守破離の「守」のように、基本的な土台ができていないうちに変なこだわりがあるのは非効率のもとになりやすいです。
 これでは「目的や目標の達成に向かって自分なりに頑張ること自体が主になってしまう」という事態が起きてしまいます。
 そうすると、どんなに力を入れても、どんなに心から信じても、どんなに時間をがかけても、望んだ結果が出る可能性はまずないでしょう。

 仕事であれ勉強であれ目標管理であれ、大体の場合は既に「うまくいくやり方」が出回っているので、その通りに素直に実行すれば成功できるものです。
 しかし、こだわりの方が先に出てしまうと段取りに大きく影響してしまうことも多いですから、その時はぐっと我慢して、まずは達成のために必要な要素を押さえておくことです。

 「自分の作品を完成させる」にしても「人生で心からやりたいことに向き合う」時などにしても、こだわりがあるのは悪いことばかりではありませんし、素晴らしい個性が発揮される場でもあり、物凄く楽しめるスパイスのようなものにもなりますが、やはりまずは達成したり完成させたりするために必要な要素を満たすことが先です。
 すべてが自分の独断ででき、湯水の如くお金と時間を使え、どれだけ待たせても誰にも迷惑が掛からないのであれば話は別ですが。

 先にこだわりが出てしまったために期間や手順などの段取りが狂ってしまうようなら、他のところで融通が利かなくなります。
 仕事や依頼の対応などがまさにそうで、完了の線引きは「相手の要望を満たしていること」と「納期に間に合っている」ことが重要です。
 仕事であれば、「まず最短距離で必要最低限の要素だけでどのように仕上げるか」という力が必要であり、それが出来なければ指示や伝達もできないし、遊びや余裕も作れないのです。

 「自分なりのこだわり」をやり始める前に、まずはシンプルなかたちでさっさと終わらせる実行力と段取りを身に付けることです。
 ですから、慣れるまでは、教わった通り、学んだ通りにやって終わらせられるようになることです。
 この経験がまず先であり、自分なりの考えやこだわりはその後でよいのです。