言うことを聞かない人への対処はどのようにするか メモ

 
 人の言うことを聞かないと言っても様々な状況があるが、例えば、新入生や新入社員や初心者などに対して何か仕事や作業の型などを教えることがある。
 この時に、中には、教えた通りにやらないとか、教わったことを覚えようともせず勝手に自己流で何とかしようとする人がいるのだが、今回の話はこのタイプの人の場合である。
 ちなみに、教える側と教わる側の立場や、指導期間や育成期間などがある場合の話であって、頼まれてもいないのに一方的に「教えてあげる」の押し売りをしたりされたりするような場合の話ではない。
 
 結論から言うと、相手が失敗するまで待てばよい。
 そして、失敗した時に理由を聞いて、フォローしてあげるとよい。
 
 その相手が失敗したり手詰まりするのを待っている間は、自分自身に対して、「自分なり」とか、「完璧に」とか、「最短で」とかいうものを目指したばかりに、基本となる教えや型となるものを無視したり、忘れてしまっていることがないかを振り返っておくとよいだろう。
 
 
 
 人というものは、誰でも自分勝手な一面を持っているものである。
 他人というものは、基本的には自分の思惑通りにコントロールすることができないものである。
 
 その言うことを聞かない人というのは、教えてもらったことを振り切って、自分の中で、自分の力だけで完璧にこなそうと考えているのだろう。
 もしかしたら、自分の力で成し遂げるということで、「できる人」とか、「頼りがいのある人」になれると思っているのかもしれない。
 或いは、ただ単純に、「自分の方が賢い、実力がある、経験がある」などと思っているのかもしれない。
 
 しかし、いずれにせよ勿体ないことである。
 
 物事には、成功や失敗があるのが当たり前であったり、「この通りやるとうまくいくよ」という手順があっても、例外というものもある。
 また、教わっている時の時代、時期、季節、さらに、人同士の巡り合わせ、年齢、それぞれの経験値などによって教える環境も教わる環境も変わる。
 これに合わせて、その時にしか学べないことや、その時だからこそ学べることや、学べる機会や内容も変わる。
 
 全ての範囲を網羅することができない中でも、一定の成果が得られるように、その中で試行錯誤をしながらより良い方向に成長していこう、成長させていこうとするのが、会社などの組織や人間の歩むべき道においての教えだったりするのである。
 そして、決まった型や手順というものがあるのであれば、それなりに情報が蓄積されて洗練されているのはほぼ確実である。
 
 だから、基本の「き」を教えてもらえたのにその通りにしないのは、勿体ないのである。
 
 他人というものは自由自在に扱えるものではないので、人に物事を教える立場の人にとっては、なかなか難しいと感じたりやきもきしたりして、周囲からの苦情もその心労も絶えないということがあるかもしれない。
 ただ、その中でも、現時点でうまくいっているところを伝えてあげることくらいはできるだろう。
 
 こうすることで、他人ではあるが、多少の方向修正くらいは見込める。
 とは言うものの、そもそも言うことを聞かない人なのだから、最初のうちは良いところなど一つもないかもしれないが、少し先を見越しつつ様子を見守る、というのもよいだろう。
 
 
 
 日本では古くから「守破離」という言葉が使われている。
 能・狂言の世界や、茶道や剣道などの「○○道」と言われる世界などで、その修行における段階について言ったものである。
 
 「守」は、師や流派の教え、型、技を忠実に守り、確実に身につけるという段階である。
 基本を徹底的に学び、守るということだ。
 
 「破」は、他の師や流派についても考え、良いものを取り入れ、心技を発展させるという段階である。
 これまで学んだことを応用させていくということだ。
 
 「離」は、一つの教えから離れ、自分流を生み出し確立させていくという段階である。
 まずはこうした教えがあるということを、最初に教えてあげるのも良いだろう。
 
 そして、他人を動かそうとするのではなく、事実を伝えることを心がけることだ。
 
 決して、お世辞を言ったり、おだてたり、悪意でない嘘をついたりするのではなく、成功例なり客観的データを示して、手を変え品を変え、様々に形を変えて情報提供をしていく方がよい。
 なぜなら、同じタイミング、同じ言い方でただ繰り返すだけなら、相手が面倒くさがったり飽きたりして、拒絶、言い訳、苦情、反撃などのきっかけを与えることになるし、機転の利かない人とレッテルを貼られて見下されかねないからである。
 
 というように、他人はまず変えることはできないが、相手の行動の方向性を少しずつ修正していくことくらいはできるだろう。
 こちらとしては「手を変え品を変え」をしていった方が、相手に伝えるための策が増えていくので、慣れるまでは言うことを聞かない人の相手をするのが面倒だったりストレスだったりするかもしれないが、後のことを考えるとやればやるほどメリットばかりになる。
 
 相手だって、お互いに出会ってからまだ浅い関係なのに、所属した組織の基本の「き」も学ばないという姿勢だとしたら、おそらく守破離が何かも知らないだろう。
 いっそのこと、守破離について教えてあげながら進め、最初は基本は守るということが大事だと、さりげなく伝えてあげたらよいだろう。
 
 
 
 ただ、それでもダメな時というものはあるので、やはり失敗するまで待っていても良いとは思う。
 失敗した時こそ介入する機会でもあるし、失敗した時にその尻拭いするのが、本人なのか、教育担当者なのか、チームや部署なのか、会社なのかを分からせる機会でもあるからだ。
 
 少し乱暴かもしれないが、自分で尻拭いできない時に「一体どうしたら良いのか」と困っている時に手を差し出された時や、自分で失敗から何か気づいたり学んだりして「何とかしなければ」と思った時くらいにしか、人は変わらないのだ。
 だから、その人が、「最初のうちは基本に忠実にやるのが大切だ」と気付くまで、やはり待つしかないだろう。
 人を成長させるためには、「待つ」ということも重要な選択肢なのである。
 
 また、その反対側の立ち位置から見てみたり、考えて見るのもよいだろう。
 今では自分で調べて解決できることが多くなった世の中なのだから、会社でも習い事でも、人から何かを教わる時には一番最初に習う基本事項をしっかり身につけておかないと、「あいつにやらせるより自分でやった方が速い」とか、「あの人ではなく他の人に頼もう」となる可能性も高い。
 そうなると、言うまでもなく残念な結果になり、その後の人生も変わってきてしまうだろう。
 
 様々な要因があったり、不十分な環境である中でも、その時にしか出会えなかった人達で今できることを成そうとしているのだから、「紆余曲折を見守りながらも、よりよく成長できるように育てていく」という、余裕を持った姿勢も必要なのではないだろうか。