悪口、陰口、噂話を人からされても気にしないことである。
また、良い噂話なら構わないが、そうでないなら自分からしないことである。
※「噂話」については、ここでは良くない意味で扱っている。
その相手は「私はそういうことをする人です」と言っているようなもので、
放っておいてもやがて勝手に孤立していくか、
同じような人達と一緒の時間を過ごすかのどちらかになるので、
いずれにしても徐々にあなたから離れていくだろう。
ただし、悪口、陰口、噂話をされるに値する行いがあったのか濡れ衣なのかは、
一旦振り返ってみて、確認しておく必要はあるだろう。
その結果、もし自分に落ち度がなかったのであれば、
まあ最初のうちだけは「あの人にそう言われてショック」となるかもしれないが、
それよりも、本来自分がやりたかったことをやる機会と時間が増えるので、
その分「今がチャンス」とばかりに集中してやりたいことをやるとよいだろう。
自分の事を邪魔してくる人は、その段階で今までよりも減っている。
途中で足を引っかけて転ばせて喜ぶような人も減っている。
何より「暇人」が自分の回りから減っているのである。
こう考えれば、その分うまくいく確率はこの段階で各段に上がっていると言える。
悪口、陰口、噂話をされたときには、徹底して相手にしないことである。
相手に対して感情をあらわにして、怒ったり落ち込んだりでもしようものなら、
相手も喜ぶ上に、あなたの時間も感情も奪われていることになるのだ。
あなたのことを「悪口、陰口、噂話の対象にしてよい」と判断した相手に、
あなたの貴重な人生の時間と精神を差し出しても、本当に良いのだろうか。
「自分の人生の主導権を握ってよいのは自分だけだ」と思うのだがどうだろうか。
この部分を何とかすることができないようだと、先述の、
「本来自分がやりたかったことをやる機会と時間が増える」ということに、
全く気付くことができないまま、鬱屈した途方もない時間を過ごすことになるだろう。
どうせ言葉を使うなら、自分も他人も前向きになるように使うとよい。
勇気づけたり、元気づけたり、話やすくさせたりすることができた方がよいし、
褒めたり、喜ばせたり、良いきっかけや思い出になってもらった方がよいのだ。
「悪口、陰口、噂話」は、その対象になった人を貶め、傷つけ、悲しませ、
時には人生を狂わせてしまう事もあるだろう。
かつて「オギャー」しか言えなかった者が、いったい何様の振る舞いだろうか。
しかし、もしかしたら相手もこれから良くなる人で、
今はまだその過程の最初の方にいる人なのかもしれない。
ただ、やはり今のところは相手にせずに、自分の本分に時間を使うことである。
なぜなら、自分がやりたい思ったことは、
生きている間にできるだけ自分で成し遂げた方が良いからだ。
そしてこれに加えて、人から教わったことは、倫理的・道徳的に見て、
できるだけ正しく使えた方が良いし、できるだけ正しく使おうとする方が良い。
人を悪く言うより、人の役に立とうとしたり、実際に役に立った方がさらに良い。
そうしてみれば、悪口、陰口、噂話をされたときは、自分の事を振り返り、
人生を見つめ直して生き直すための、意外と良い機会とも言えるだろう。