人間関係のストレスを減らすには メモ

 
 例えば愚痴を聞かされた時は、自分の思っていることを相手にきちんと伝えた方がよい。
 もちろん相槌を打ったり話の流れ上の共感をしたりはするが、もしあまり話が長く、自分も「ネガティブな話ばかりで気分が重くなるよね」と思うようなら、そう言ってしまった方が良い。
 つまり、自分の正直な気持ちを相手に伝える、ということである。
 
 アドラーの心理学において、人間関係には水平と垂直の2種類の関係があるそうだ。
 水平の関係は健全であり、精神的にも楽な関係である。
 垂直の関係はいわゆる上下関係であり、支配する、されるの関係性である。
 
 そこから考えると、相手が好きなことを言って自分は反論もできず我慢して聞かされている状態は垂直の関係となり、相手に支配されていることになる。
 だからストレスがかかるし、楽しくもないのだ。
 
 
 
 であれば、水平な関係として人付き合いをしていき、ネガティブな話ばっかり聞きたくないならそのように相手に伝えられる関係である方がよい。
 もし相手が会社の上司などで、反論したら大変なことになる状況であれば話は別だが、そうでない間柄なのに自分ばかりが我慢して話を聞かされる意味もないだろう。
 水平な人間関係でないと、ストレスは溜まりやすいのだ。
 
 だから、素直に自分が思ったことを言ってあげれば良い。
 友人や会社の同僚などと食事の席や酒の席を共にして、愚痴の一つや二つくらい出ることは誰にでもあるものだからだ。
 相手だってあなたと親しければ、あなたの生活やストレスのことなども考えて、適当なところで切り上げるなり吐き出し切るなりして、「愚痴聞いてもらっちゃってごめんね、ありがとう。」くらいのことは言うものだ。
 
 しかし、もしそれで人間関係が険悪になった場合、それは相手があなたのことを単なる聞き役としか思っていなかったことになる。
 さらに、あなたに対して思いやりや気配りや愛情が一切なく、話を聞くだけの奴隷のようにしか思われていなかっただけということも明らかになるだろう。
 そんな人のために我慢をして膨大な時間を費やす必要はないし、そういう人とは疎遠になったって別に構わないのだ。
 
 
 
 「○○したら嫌われるかもしれない」と思って、言わずに我慢する人が多いのだろうが、だから余計なストレスを感じて人間関係で悩むのだ。
 「我慢する側」と「我慢しない側」があるとしたら、我慢する側にいる選択ばかりするから、ストレスがかかって苦しいし、生きづらいのだ。
 
 これからは、今までよりももっと「水平な関係性」を意識するとよい。
 仮に相手がそれを嫌だと拒んだ場合は、その関係性を切ればいいだけの話である。
 もしその関係を切らなければ、あなたはその人との関係性において、ただ奴隷のように生きる選択をしたことになるだけだ。
 
 本来は水平な関係性であったものを上下関係の「下」の方にされて、そのまま服従して我慢して交友関係を続けたいのであれば、別に誰も何とも思わないし言わない。
 ただ、それで「辛い、苦しい」と言って悩み、今の状態になっていてもまだ気付かない人も多いので、「自分の思っていることは言ってしまって、もし嫌われたら関係性を一旦切れば良いのではないだろうか」と言っているのだ。
 
 嫌われたら嫌われたで、それは仕方ないことなのだ。
 ただ、相手に対して自分だけが「下」の関係を何年も続けて行っても、楽しいことは何もないし、ストレスが増えるだけである。
 だから、愚痴を聞かされていて「もうそろそろ聞きたくないな」と思ったら、言い方や伝え方は工夫して良いので、柔らかく伝えることをもっとやっていった方がよい。
 
 
 
 自分でストレスの原因を作っておいて、我慢し続ける意味はないのだ。
 
 本来は水平な関係性であるはずのものが、垂直な関係性になっていることが問題なのである。
 
 「自分から人の悪口を言うな。」とは、いつの時代でもよく言われることだろうが、もう一つ付け加えたい。
 
 「他人の悪口を聞かされることは時間の無駄である。」
 
 
 
 あなたはあなたの時間を奪われる理由はないのである。
 もっと自分の人生を生きてよいのだ。
 他人のくだらない悪口を聞かされるために時間を作っているわけではないのだ。
 
 もしそれでも聞かされたら、その場で縁を切って二度とこちらから誘いもしなければ、誘われてもお断りすれば良いのだ(もちろん、相手が成長して変われば別であるが)。
 
 会社や学校の関係など、起動にもなかなか切れない関係というのはまた別の話だが、ストレスを受けてまでそれを我慢して付き合わなければならない関係性などない。
 友人や同僚や遊び仲間も確かに大切だが、嫌なことを言われてわざわざ我慢してまで付き合う必要はない。
 また、こちらが他の人を支配する側の人間になっている可能性もあるから、その辺りについても多少は振り返って気を付けてみた方がよい。
 
 お互いに本音を打ち明けて、その本音を許容できる関係だけが最終的に残り、それが素晴らしい人間関係につながっていくのが健全な人間関係と言えるだろう。
 水平な人間関係であるべきものは水平な人間関係として付き合い、支配される関係からの脱却をいち早く行い、お互いに幸せに楽しく生きられる関係性を築いていくことが大切である。