最近周囲の人達と距離があると感じた時にできること メモ

 
 誰でも感じることなのだろうが、「最近周りの人と距離ができた感じがする」とか、「最近周りの人が冷たくなったように感じる」ということは起こり得る。
 そのような時は、とりあえず、あなたの素のままに接することである。
 自分なりに普通に接して、普通にコミュニケーションを取っているのに、「嫌われたらどうしよう」と思わないことだ。
 
 結論としては「そんなのどうでもいいこと」なのだが、ただ、もしどうしても気になるようなら本人に聞いてみるのが良いのかもしれない。
 本当に冷たくされたり、仲間外れになっていたり、距離を置かれているというのならそもそも別の問題となるのだろうが、一先ずは相手の感情や行動を過剰に心配しないことだ。
 「相手の考えを常に気にしてしまう人」というのは少なからずいるものなのだろうが、とりあえずは「気のせい」にしておくのだ。
 
 もし、ただの自分の考えすぎというのでなければ、相手に確認してみたらよいだろう。
 「最近冷たく接してませんか?」聞いてみれば、普通なら恐らく「そんなことないよ」と帰ってくるのではないだろうか。
 大体の場合は、自分の考えすぎとか、自分か相手のどちらかのタイミングが悪かったとか、相手が疲れていたとか嫌なことがあったとか、そんなものなのだ。
 
 あなたが相手に悪意なく対応して、わざと嫌われるようなことをせず、悪口や陰口を言ったりせずに、自分なりに最善の振る舞いや対応をしているというのなら、それで良いのではないだろうか。
 それで相手が気分を害したとか、虫の居所が悪かったとか言うなら、そんなのはこちらで考えても仕方のないことなのだ。
 大人なら「自分の機嫌くらい自分でとれ」という話なのだ。
 
 
 
 さて、あなたは周りの人のご機嫌ばかりとって作り笑顔で接したり、そう思ってもいないのに相手のことを持ち上げてあげたり、いつも下手に出て相手に媚びへつらってばかりだったり、そうやって相手の顔色ばかりうかが窺って生きていきたいのだろうか。
 相手の気に入ることばかり言って、怒られないようにいつも余計なことばかり気にして、果たしてそんな生き方は楽しいのだろうか。
 筆者はそんなことはしたくないし、多分多くの一般的な人もそうだと思うのだが、そういう生き方は楽しくないはずである。
 
 自分の人生は、自分のものなのだ。
 自分から故意に悪口や陰口を言ったり、嫌われるようなことをしているのなら話は別だが、自分なりに嫌われるようなことや悪いことをしていないのなら堂々としていればいいし、嫌われたとしても何の落ち度もないのだ。
 
 そして何の悔いも持つ必要もないし、落ち込むこともないのだ。
 さらにあなたの人生にマイナスなことはないだろうし、それ以上相手にすることもないだろう。
 
 「人間関係を良好に保つために教養や実力を身につけて自分を磨いていく」ということは確かに必要なことだ。
 しかし、そうでなく普通の人間関係において、普通に接して普通にコミュニケーションを取って、その上で嫌われたとしたら、別にそれでも良いのではないだろうか。
 誰かに嫌われたからといってガッカリして落ち込んだり、自分を嫌いになったり自分を否定したりしたら、それは自分の評価を二重に下げていることになるのではないだろうか。
 
 だから「今の自分で良い」と思い、相手の顔色なんか気にしない、いつも通りのあなたでいれば良いのである。
 自分の中のネガティブな部分を見つけ出し、拡大し、妄想を繰り広げて、自分のことを傷つける必要などどこにもないのだ。
 
 
 
 ほとんどの場合、ストレスは自分自身で作り出していることが多い。
 実際にそんなものはないのに、自分で気にし過ぎて不安に陥ったり、相手の気分を害していないか心配したりする。
 そうやって、自分で勝手に原因を作って勝手に落ち込んで、本来あったはずの素晴らしい機会を逃し、場合によっては病気になったり人生を台無しにしたりしてしまうのだ。
 
 それよりも、もう少し今の自分に自信を持っても良いのではないだろうか。
 急に冷たくされたり距離感ができたのは「相手の都合」ということも考えられるのだから、別に本来のあなたとしてキチンと相手に接していたのならそれで良いのだ。
 それをしようとせずに、他人の顔色ばかり窺って生きたり、嘘の自分を演じて他人から好かれようとするのは、他人の人生を生きていることに他ならない。
 
 他人の人生ではなく自分の人生を自分らしく生きて、その結果として好かれたのなら嬉しいだろうし、嫌われたのなら仕方のないことだ。
 時には「本来の自分を生きるのか、偽りの自分を生きるのか」と考えてしまうこともあるのだろうが、本来の自分を生きた方が間違いなく楽しいのだ。
 だからそのためにも、もっと今の自分に自信を持って生きるということが大切である。