自分のものとして身に付けたいことがあったら、受け身でいないこと

 
 物事を学習をしていく過程では、「教えてもらう時間が過ぎたら終わり」、「知識を習得したら終わり」ということはありません。その学んだことや得た知識や技術をその後一貫して操れるようになったり、活用・応用できるようになることが大切です。
 
 しかし、自分から学びたくて習いに来ている人であっても、多くの人は情報を蓄積することはしますが、それを自分の成長や改善のために実際に活用する人はなかなかいないものです。伝え方も受け止め方も出会ったタイミングも人それぞれなので、ある程度は仕方ないことなのかもしれませんが。
 
 ただ、このように、意識と行動の差異を自分で埋めていくことができるようになることで、自分をより確実に成長させたり、物事の価値や、人の力量や、成功するかどうかの見立てを計ることに必要な、最終的な基準や判断力がついていきます。
 
 
 
 「先生からせっかく教わったけど出来ないから仕方ないや」とか、「だって先生だからできるんだよ」と言ってあっさり諦めたり、他に原因を探してしまう人がいます。これはかなり勿体ないです。
 
 なぜなら、先生と言われている人だって、その人が学んだ時代の時点で解明されていることや、広く伝えられている物事から学びとっているのです。そこにはそれぞれが学んだ環境や、体の大きさ、性別、身体能力、学習能力などの要素や条件の違いが人様々にあったことでしょう。
 そのような状況の中ででも、基礎として学べることはしっかりと学び、身に付けられることはしっかり身に付けられるように努力を重ねたり工夫をしてきたからこそ、その先生の今があるのだと思います。
 
 ただ、もしかしたら今のあなたには当てはまらないこともあるかもしれませんから、「言われてもピンと来ない」ということも中には当然あると思います。その点では、先生といっても何から何まで万能というわけではありません。
 
 だから、一度や二度、或いはほんの数回やったからといって簡単にあきらめてしまう前に、自分のものとして身に付けられるように工夫をしてみるとよいでしょう。もちろんあなたが学習する対象の、型、原理、前提など、押さえるべき基本は押さえた上で取り掛かる必要はあります。
 先生がそばについている間はできるけど、自分一人になったら分からなくなってしまうとか、できない状態に戻ってしまうという人は、このあたりを気にして取り組んでみるとよいでしょう。
 
 そして、先生側にも相手をその気にさせるようにしたり、うまく伝えられる順番を考えたり、より適切な言葉を探したり、相手の気になっていることを感じ取る、というような工夫ももちろん必要となるでしょう。
 また、自分ができるようになったことは、感覚的なものや勘として捉える領域や、反射的に体が反応するという領域にまで磨き上げた反面、言葉としては失われていることがほとんどでしょうから、自分のできるようになったことは、一度改めて、マニュアルや手順書を作るつもりで言語化しておくとよいでしょう。
 
自戒を込めて。