人にものを教える時に大切なこと

 
①なくなった言葉を取り戻しておく
 人にものを教えるという行為は、自分が持っている知識や技術を、相手に分かりやすく伝える作業だということです。
 そのことを通して、あらためて自分自身の知識の見直しと定着をさせることにもつながります。
 人にものを教えるにあたり、人に対して目を向ける前に、まずは自分に目を向ける必要があります。
 
 遠い昔、自分が身に付けたかったことで、苦労して調べたり、何回も何回も反復しながら失敗や挫折を乗り越えて習得したことが、今では当たり前のようにできている、ということが誰にでもあると思います。
 さて、皆さんは現在ではその当たり前のことをするにあたって、どのような手順や説明をすることができるでしょうか。
 
 人は、自分が物事を理解してできるようになって慣れてしまったり、習熟した結果条件反射や勘で動けるくらいの領域に達すると、「なぜできているのか」ということが、不思議なことに言葉としては消えてしまっていることがほとんどです。
 
 しかし、教えるという行為は、その自分の力として身についた代わりに消えてしまった言葉を、もう一度使えるようにして行う必要があります。
 今、自分が当たり前のように使いこなしていることを、どうやったらよいか全くわからないという他人に伝えるわけですから、当然のことだと思います。
 
 これから教える行為について、姿勢はどうなのか、持ち方や構えはどうなのか、手足の使い方はどうなのか、呼吸はどうなのか、目線はどうなのか、理論はどうなのか、など、一つ一つについて言葉にしていくことです。
 最初はたどたどしい言葉でもよいから(というよりそうなりますが)、何度も書き直してより伝わる文章にしてみたり、自分の口から自分の言葉でスラスラと出てくるくらいになるまで反復して、言語化を重ねておくことです。
 
 
 
②その人の課題は何かを見出せる
 人に教えるときは「教え方」よりも「課題を見つけること」のほうが大切です。一番最初は何から教えるか、という点についてはこちらで用意しておく必要はありますが、ある程度やっていくうちに、教えられる側にも周りの子達との差がついてきます。
 この時に大事なのが、周りとの比較だでなく、自分の育成計画の目標に対する現状も見ておくことです。
 
 その視点も持っておかないと、例えば「自分は今回〇〇の奏法について教えるが、今回のレッスンでの指導目標をクリアできたことそうでない子がいた。この違いは何だろうか。どこで差が出たのだろうか。」と見ることが必要な時に、「あの子は速いし出来がいい。この子は全然ダメ。」と見誤ることにも繋がりかねません。
 
 少し乱暴な言い方かもしれませんが、要は、こちらが教えた結果を返してきてくれた子達に対して、自分のせいと捉えるか相手のせいと捉えるかで、結果も見方も次のプロセスさえも、大きく変わってしまうということです。
 
 この点について言えば、例えば外国語であれば、その人の課題は、覚えている単語量なのか、文法の使い方なのか、発音の仕方なのか、リスニング慣れなのか、といったことを正確に見極めることが大切なのです。
 また、今回教えている内容の1つ手前の段階ができているかどうかについても、必要であれば確認しておかなければならないでしょう。
 
 今回の指導の目標はコレ。必要な要素はコレとコレ。その前段階でできていなければならないことはコレとコレ。というように切り分けて考えていく癖をつけていけば、見つけ方も自然と身についてくると思います。
 教え方がいくら上手だからといっても、一人一人に対して課題を特定したり適切に設定できるようでなければ、教わっている生徒からしたらまったく意味がなくなってしまうので、押さえておくべきポイントが必要です。
 
 
 
③指摘するための理由を持つ
 教えた相手がこちらの意図しない行動をとったり、間違ってやっていたり、その業界におけるマナー違反やルール違反につながる行動をとってしまった時は、指摘してあげることが大切です。理由も伝えるひと手間も惜しまずに必ず伝えてあげた方がよいです。
 
 指摘するときは「理由」をセットにして伝えてあげるとよく、「こういう理由で良くないから、次からは直してください」とすることで、はじめて改善につながるきっかけを作れます。
 また、そうした方が、結果として相手の成長が早くなることが多く、効率的に進められます。はっきりと指摘してあげて、その理由も分かって、実際にやったら改善が見られたというならば、お互いの信頼感も築きやすいです。
 「あれはダメ、これはダメ」という指摘ばかりでは、相手はどうしていいかも分からないでしょう。
 
 その他、結果は合っているけれどいくつか工程を端折っている、という様子も見受けられます。この点も見逃さずに見てあげて、端折った結果ボロが出るなら、その理由も説明できるとよいでしょう。
 そうすることで、特に初心者には「型」の大切さも伝わります。
 さらに、「守破離」の「守」を守れた上での創意工夫ということであれば、それをよく見てあげて、よくアドバイスをしてあげるに越したことはありません。
 
 なぜなら筆者としては、よく理解して実際にできた上でアレンジしたり端折ったり楽をしようとする子供たちは、創意工夫ということを実際に試みようとしているのではないかと思うからです。
 この点の解釈についてはそれぞれのケースで判断が異なるでしょうから難しい部分もあるかと思いますが、「楽をしようとすると叱られる」ばかりになってしまわないように、「子供たちが繰り出す発想力」という見方の面においては、もう少し評価されてもよいのではないかと思います。
 
 
 
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 さて、良い先生や指導者とはどのようなものかと考えた時、筆者の経験から考えると、「自分で学べるようしてくれる先生」や、「自分でできるようにしてくれる先生」、が現在のところの答えです。
 他にも、何でも教えてくれる先生や、いつでも助けてくれる先生というのも確かいますし大切ですし、そういう人はみんなの記憶に残るいい先生や指導者なのは間違いないでしょう。
 
 しかし、教わる側からしたら、自分の力で自分のものとして知識や技術を身に付けたときの喜びは、何ものにも代え難いものになることは間違いありません。また、当人が身に付けたことなのですから、あなた目線ではなく自分を中心にして喜び、その実感を自身の心や記憶の中に留めようとするのが自然でしょう。
 
 少し寂しい言い方かもしれませんが、教えた相手ができるようになったその時点で先生や指導者のお役目は終わっているのですから、その人のその瞬間の思い出の中に残る必要はありません。
 私たちはその回その回で全力を尽くし、できるようになった子がいたら一緒に喜んであげることができれば、まずはそれが何よりなのだと思います。