「人の目を気にして生きづらい」を少しでも減らすには

 
 誰でも、他人の評価が気になったり、他人から自分のごく小さな一面についてちょっと言われたくらいで気にしたりして、あれこれ悩んだり、見栄を張って背伸びをしたり、苛立ったりしたことくらいはあるだろう。
 
 しかし、もっと自発的に、自分に焦点を当てることはできないだろうか。
 今の自分の状態に気がつくことで、もう少し楽に生きることもできるのではないだろうか。
 もっと自分の人生を生きるためには、もっと自分のことをよく観察することが大切なのではないだろうか。
 
 
 
①他人のイメージ通りに生きない
 人は社会に出るほど無意識に自分のキャラを作り、できるだけ本来の自分を出さないようにして物事を穏便に済ませることで、自分で自分のことを縛っていく。
 「言いたいことがあるのに我慢してしまう」とか、「是非聴いておきたいのに遠慮してしまった」とか、「あまり出しゃばらずにおとなしくしている」というような例なら分かりやすいだろうか。
 
 自分のキャラというものは、そのほとんどが自分の本心から作り出したものではなく、他人から言われたことや世間の目を気にして作り上げていったものである。
 もし当てはまることがあるなら、それはさっさと捨ててしまった方が良いだろう。
 本当の自分らしく生きたいと思っているのであれば、尚更である。
 
 実際、本当の自分を出したからといって、周りからの評価が下がることはない。
 なぜならば、「本来の評価を得られるようになる」というのが正しい見方であり、周りからの評価が下がると思うのは錯覚だからだ。
 
 例えば自分のことを、「本来の自分は好奇心旺盛で、失敗を恐れずにガンガン挑戦をしたい」と思っているのなら、そのようにしていくことだ。
 周りから「真面目で優しい○○さん」と言われているからといって、そのイメージの通りに生きるべきではないだろう。
 
 本来の自分を出し始めると、最初は変な意見も言われるかもしれないが、出していくにつれて周りの評価も変わってくるのだ。
 そうして、本来の自分と世間の評価が合致するようになる。
 さらに、人の目を気にせずに堂々としていたり、言いたいことをしっかり発言できたり、自分で決めたことをやり遂げて自信もついてくると、もっと自分のことを好きになったり、もっと自分のことを肯定できるようになるのである。
 
 
 
②人間は不完全なものであることを知る
 これは「人間性を信用しない」ということであって、「他人を信用しない」ということではない。
 人は誰でも、欠点も弱さもあり、精神的な浮き沈みもあり、誠実な時も魔がさす時もあるものだ。
 
 そのような面も含めて、「人間とはこんなものである」ということを認めて受け入れることができるようになると、精神的な余裕も出てくるし、人としての器も拡がっていく。
 「人は誰でも不完全なものだ」と分かればストレスも減るし、自分にも他人にも優しく接することができる温かみのある人物になれるのだ。
 
 だから、何かにつけて「~ねばならない」とか、「絶対~であるべき」というような完璧主義に陥っていると、誰とも気軽な話もできないし、ちょっとした相談もできずに、やがて孤立して泥沼にはまってしまう可能性も高まるだろう。
 
 プログラミングには、「70点で合格ライン」という、少し大まかに言ってしまうと、主軸となる動作がちゃんと作られていれば、その他の微調整や追加修正は後から行えば良い、という考え方がある。
 また、ある経営者には、「調子が良くない時でも自分の基準で20点を超えたら絶好調と言う」ようにしている人もいるそうだ。
 このように、不完全であることを前提とした考え方は、完璧主義の人では発想するのは難しいことだろう。
 
 
 
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 とはいえ、集団に所属しているのであれば、当然周りの人の言うことを聞いたり合わせたりしていくことも大事だし、自分が「これは大事なこと」と思った物事には、真剣に向き合って深く考えていくことも大事である。
 
 しかし、一回きりの人生を存分に楽しんで生きていくためにも、何でもかんでも他人に合わせてしまうのではなく、押さえるべきところは押さえた上で、「自分らしく生き、器も大きくなるように生きる」ということも大切であることは間違いないだろう。