他人の評価がいつまでも気になるのは、「自分に自信がないから」です。
とは言っても、自分の中のすべての分野において納得して充実しているような人なんて、まずそんな人はいないでしょうから、誰だって自信のない部分が多少あるくらいは普通のことです。
それ以外にも、「今の段階でどうしていいか分からない」、「自分の進むべき方向性が定まっていない」、などの理由も挙げられるでしょう(結局は自信がないのとよく似た様なものになりますが)。
他人の評価が気にどうしても気になってしまった時には、以下の様な点に気を付けて対処していくと良いでしょう。
①自己洞察する力をつける
取り敢えずのところは、「なぜ自分は他人の評価を気にするのか」という考えを持って自己洞察を始めようとしてしまうかもしれません。
しかし、まず注意すべき点は、「自分のできていないところに焦点を当てないこと」です。
他人から何かを言われれて気になっているところにネガティブな材料を持ってきても良い組み合わせではありませんし、そうでなくても「人はできない理由を見つけて現状維持をする天才」だからです。
普通、自分の中に既に成し遂げたいことがあって、その流れの中で今すべきことが分かっていれば、他人に何を言われてもどうでもよいと感じるか、レベルの高い人からの評価なら「それ参考になる、ありがとう!」と感じるはずですよね?
ですから、まず先に今の自分に対して心構えや土台となる部分を自己洞察をしておき、以下のような点を探して、見つけて、次の行動へと結び付けていく、ということをそもそも少しでもやっておくことが大切です。
例えば、
・自分の良いところ
・できているところ
・褒めるべきところ、など。
自分のことを深く知り、自分で自分の機嫌を取ったり励ましたりすることができない人が、他人の評価を聞くものではありません。
他人の評価というのは往々にして正しいことが多いように見えますが、いつも正しいものとは限りませんから、流され過ぎても良くありません。
また、あなたは実は良くできるし素晴らしい人なのに、悪意を持って低い評価をつける人がいて、今のように不安にさせられているだけだという状況も、ごく稀には起こり得ることです。
自分のことをしっかりと自分で見つめてみて、自分のできたところについては、誰が何と言おうと自分自身で「できた」と評価を下すことだ。
「できたと言っても、もっとレベルが高い人もいる。」と思う人もいるのでしょうが、そういうのはその「できた後」ということで線引きをして区切り、これからより良くしていけば良いのです。
どんな人にもできている部分とできていない部分が必ずあるものですし、「常にできる」や「8割の確率でできる」というような尺度もあるものです。
そう言ったものを十把一絡げに「できていない」と自分で判断して落ち込んでいくのはおかしいことです。
自分のことなのだから、自己洞察は必ず自分が一番乗りで確認し、評価をしておくことです。
②今の自分にできることをやり切る
自分のやりたいことをやれたのなら、「やり切った」という感覚が自分の中にどの程度あるかということを知っておくことです。
なぜなら、やり切っていたら他人の評価は気にならないからです。
差し当たって、①とこの②の二つの視点がないから、他人のアドバイスに心を揺らし、他人の評価で不安になって、いつまでも心が迷ったままになるのです。
①の最後にも言いましたが、これからは、他人の評価を受ける前に自分で自分に評価をしていくことです。
そのためには、今何か目的を持ってやっていることに対して、今までの自分の行動を振り返ってみることです。
もちろん、まだ達成に向けての過程にあることややり切れていないことがあるのなら、まずは今できるベストを尽くすことです。
また、評価の仕方など様々ありますから、例えば次のように、ベストを尽くすという表現以外にも自分やその活動に見合った言葉を持っておくことです。
・自分が納得いくようにできている
・以前の自分と今とで変化があった
・○○という収穫が得られた、など。
今の自分がどうなっているのかを自分で見てみたり、納得できたり、収穫の見込みが立っていたりすると、物事をやり切りやすくなります。
もちろん、「ここまでいったら『できた』とする」という線引きや段取りを決めておくことも、物事をやり切るためには忘れてはなりません。
もし、このようなこともできていない状態なのに、他人の評価がどうだこうだなんて言っているのなら、順番がおかしいです。
まずは、きちんと自己洞察をして自分の考え方や意志を定めて、今の自分でできることややるべきことをやり切っている、或いは最低限でも取り掛かっている必要があるのです。
そのやり切ったことについて自分で自分を評価するのはその後のことであり、他人の評価はさらにその後のことなのです。
③気にし過ぎない
他人からどんな評価を受けても、何を言われても、どう思われても気にしないという選択も大事です。
公の場できちんと評価されるのではなく、プライベートな場で故意に悪く言われたりする時などは特にです。
その場合、自分が気にしたり傷つく事で相手にそのことが伝わり、相手が喜んだり手応えを感じてまたやるという結果につながってしまいます。
自分は特に悪いことをしていないのに人から良くないことをされた時は、まあ気にするもしないも自分の自由だし自分の選択なのですが、取り敢えずは「何なんだコイツは」という不快や怒りの感情を表に出さないように、気にしないふりをして受け流すなりすれば、その後の実害を回避できることが多いです。
「気にする」ということにどうせ時間を使うなら、こんなくだらない事でなく、大切な時期に大切な人からアドバイスを得た時や、自分の意志と考えと計画を持って自分で決断する時などの方に使った方が余程良いです。
せっかくですから、他人からの評価を受ける前に少しくらい知っておいた方が良いことを挙げておきます。
・他人は、あなたが思ってるほどあなたに対して興味はないものである。
・他人は、あなたが思ってるほどあなたのことを見ていないものである。
・あなたのことをよく見ていたとしても、あなた目線ではなく他人目線である。
・他人の評価の多くは、評価者、タイミング、気分次第で変わるものである。
・他人からの評価は、理不尽やストレスは感じるものがほとんどである。
・ある一定以上でストレスになるなら、その手前で一呼吸置くべきである。
・他人からの評価にすべて従って生きていく必要はない。
・他人よりも自分の方が、一生付き合っていく相手である。
自分の見方に偏りがあるとか、「他人の意見はいつも正しい」とか、「素直さがある人が強い」というような言葉があったりもしますが、正直なところあなたの評価をした相手だって、実は他の分野では足手まといだったり、とんちんかんな人ということもあるかもしれません。
ですから、もっと気楽でいてよいし、「その評価は気にする価値のあるものなのか」という視点も持ってよいと思います。
何度でも言いまずか、自分で自分のことをどう思い、どう行動し、結果につなげていくかという方が大切です。
④自分で自分を責めない
多くの人は、「できてない」というところに限って重点的に見つめ続けしまい、なぜかその時その人が「でも、この部分はとても良いよ」と追って評価していることは一切参考にしないものです。
自分一人で決め付けてしまって、固執して、変更も修正も一切せずに、勝手に落ち込んだり自信を失っていきます。
これは明らかに勿体ないことです。
さらに、面倒なことに、最初からかなりハードルの高い「できた」を求める人がいます。
傍目から見たら多少粗くてもできているのにそれだと嫌なのか、できていないことにしてしまっているのです。
「もしかしたら、できたとは言えないかも。」とか「普通と同じじゃ納得いかない」などと考えなくてもよいし、最初のうちは「できた」は「できた」で良いのです。
このように考えるのは、「現時点での成功確率や、再現性や、完成度などが低い」とか、「世の中、上には上がいる」といったことを既に経験していることに一因があるかもしれません。
また、スポーツや芸術の分野なら、「いつやってもできて当たり前」、「前回よりも0.1でも上を目指す」というような考え方もありますから、そうした分野においてならある程度は仕方のないことでしょう。
ただし、その考えをするのは一回目の「できた」の後であり、今後の精度を上げるために取り組むべき行動だと理解しておくことです。
もちろん上を目指すなら完璧主義になるのも悪いことではないのかもしれませんが、今の時点ではそのタイミングではないのですから、自分を責めたり追い込んだりするのはほどほどにして、出来たことには素直に喜んだ方が良いのです。
そうでないと、自分のやりたいことなんて、実現させる以前に満足に取り掛かることすらできずに終わってしまうことになります。
➄「自分自身は一体どのように在りたいのか」という考えを言葉にしておく
少し②に近いかもしれませんが、「自分は他人から評価されていないのではないか」と感じるよりも先に、「自分で自分のとった行動や、自分の人生についてどのように評価するか」ということについて、普段から考えたり振り返ったりしておくとよいです。
仮に、「他人からの評価をきちんとしておかないと友達が減ってしまう」と言うのであれば小さく行動続けていくことができるように自分の技術や人格や思考を高めようしておくのが先でしょう。
また、「他人からの評価をきちんとしておかないと会社の役職や給料が」と言うのであれば、会社に貢献するだけでなく、どうやって自分の力で稼いで、生きて、生活をするかについて考え、試しに小さく行動を起こしてみる方が先でしょう。
でないと、他人との別れを経験することになったり、会社の肩書もフォローも根回しも何もなくなった時に、或いは今よりももっと立ち行かなくなる世の中になった時に、どうするのでしょうか。
「他人や社会と自分とのつながり」や、「他人が自分のことをどう評価するか」ということは大変大事なことではありますが、その前に「自分自身は一体どのように在りたいのか」という、自己評価のための軸を一つ持つこともまた、大事なことです。
「他人のすること」と、「既に過ぎ去った出来事」は自分ではコントロールできないので、変えることはまず不可能です。
「周りにもっと良く見られたい」と思っていたとしても見るのは他人なので、なかなか思い通りにはならないのが現実です。
繰り返しますが、他人が自分に対してどのように考えたり、どのような行動を起こすかは、自分ではコントロールできないのです。
しかも他人の中には、周りを蹴落として自分だけ生き残ろうとする人や、天邪鬼のように何にでも反対する人というような酷いのもいます。
物事を客観的にみたり、分け隔てなく接してくれたり、意見と事実を切り分けていつでも冷静に考えられる人ばかりではありません。
そう考えればやはり、自分がコントロールできないことで悩んだり、他人の評価に一喜一憂するよりも、自分が自分に対して行う評価が先なのです。
恐らく多くの人も、自分の事は我が身可愛さで評価が高いのに、「他人から低い評価を受けているのでは」と心配するのだろう。
また、自分を実力よりも高く見積もる傾向にある人もいることでしょう。
もしかしたら、あなたのことを低く評価した人も、自分のことは特に根拠もなく高く見積もりつつ、実はそれなりに欠点や短所を持っている人なのかもしれません。
さて、あなたは自分で自分のことをどのように見ているのでしょうか。
もし、小さなことでも他人に対して何か良いことをした時に、その行いに対して他人が鼻で笑ったとしても、自分から見ても客観的に見ても良いと思われることをしたのなら、素直に自分の中で「自分は良いことをした」と、自信をもって自分を評価して褒めればよいのです。
また、「実はこういう側面ではよくないこともある」と分かったのなら、「新しい発見を得られた」として評価して、今後の自分に付加していけばよいのです。
様々な視点や考え方を用いれば、他人の評価が大事な時も確かにあります。
しかし、もっと「自分の人生の主役は自分だ」という自覚を持ち、自分の取った行動を振り返り、地道に改善するようにしていけば、もう少し気持ちも穏やかになり、自信を持った振る舞いができるようになるのではないでしょうか。