自分の軸を作るためにできること メモ

 
①他人に迎合しない
 他人の顔色に左右されないということである。
 しかし、他人の顔色、他人と違うことをすること、個人の判断では何かをするなど、他人の顔色を見ずに自分で決めて行動するということは、現実問題として結構難しいことである。
 ただ、他人の行動を見て行動することは、本来の自分の考えや行動とは違う方を選ぶことであり、本当はやりたくないことをやらされるということになる。
 
 自分の考えと他人の考えというのは、同じこともあるが違う場合の方が多い。
 そうなった時に他人の考えばかりを受け入れていくと、自分が本来やりたかった行動や仕事や遊びができなくなるわけである。
 つまり、自分が望んでいることや幸せからはどんどん外れていってしまうことになるのだ。
 
 人には一人一人それぞれの価値観があり、それぞれ違うからこそ個性が生まれる。
 もし、ある人が別の人に無理やり価値観を押し付けられれば、押し付けられた方は当然幸せにはなれない。
 自分なりの行き方や考え方や行動の仕方を見極め、それに沿った生き方をすることが軸を作ることになり、ひいては幸せにもなるのだ。
 
 無理して他人に合わせたり、自分を抑え込むというやり方は、その場や当面の間は軋轢を生むことはないので、一見穏便に見えたりストレスにならないようにも見えるだろう。
 しかし長期的にやり続けてしまうと、ずっと我慢し続けたり、受け入れ続けたり、他人のやり方でやらなければならなくなるので、大きなストレスを被ることになる。
 今すぐ変えるのは難しいだろうが、「ちょっと他人に迎合しすぎているな」と少しでも感じている場合は、少しずつ自分の行動や考え方を見直し、自分のやりたいことを見直してみることが必要である。
 
 
 
②自分のビジョンを持つ
 例えば、自分がどうしたらいいか分からない時に親から「こうしなさい」と言われて、「じゃあ、特にやりたいこともないし、やっておくか」というような感じで他人に流されていることはないだろうか。
 「自分が絶対これをやる」と決めてたなら、他人から何を言われようが自分のやりたいことを言えたはずだが、ほとんどの人はそうならないことが多い。
 自分のビジョンや方向性がはっきりしていないから、他人に流されてしまうという問題が起こってくるのである。
 
 ただ、自分のビジョンを持つことは一朝一夕にはいかないし、日々の生活の中で何年もかけて生きる方向性が見えてくるということもあるだろう。
 むしろ、若いうちや学生のうちから一言でズバッと言えるような人がいたらすごいことである。
 ビジョンは1週間や1ヶ月で決まるようなものではないので、普段からそういうものを考えながら生活していくと良いだろう。
 
 
 
③他人のアドバイスに安易に従わない
 親、上司、先輩、友人などの意見というものは、いくつかある意見のうちの一つとして尊重するにとどめておくようにすると良い。
 そもそもあなたの考えではないのだから、絶対的なものではないのだ。
 親から「公務員になりなさい」と言われても公務員になりたくないから受け入れないのと同じように、無理して受け入れる必要はないのだ。
 
 もしこれが「公務員は安定して仕事があるし、ちょっとしたことや経済情勢などでクビになったりしないから、職業としても安定しているよ」というように言われたなら、それは確かに一理あるし受け入れ易くもある。
 確かに、そういう言い方をされれば反発心も出てこないし、かえって興味も湧くだろうし、参考にもしやすいだろう。
 他人の考え方ややり方というものもあるから、とりあえずのところは受け止めておいて良いのだろうが、しかしそれでもその通りにやる必要はないのだ。
 
 
 
④自分の決断は自分で責任を取る
 自分の軸を持って自分の意見を言うのは難しい。
 なぜなら、何か失敗をした時には、自分が言い出したことなのだから、自分で責任を取らなくてはいけないからだ。
 責任なんてみんな取りたくないし、特に日本人はその傾向が高いとも言われているのだから、自己責任などという言葉も大嫌いだろう。
 
 確かに、責任を逃れるために会社でも学校でも意見は言わないとか、言われた通りにやったんだから自分に責任はないとか、みんなが言ったのと同じようにやれば自分の責任を逃れられる、と考えることは少なからずあるかもしれない。
 それはそれで良いのかもしれないが、生きる上で全てそうしてしまうと自分らしさがなくなってしまうし、つまらない人生にもなってしまうだろう。
 ただ、他人の言う通りにしか動いていないのだとしたら、自分の本来の生き方ができないわけだから、ものすごくつまらない人生になることは間違いない。
 
 とはいえ、ある部分においては他人に迎合することはあったって構わないし、仕事やチーム戦などで動く場合には責任者がいるのだから、「ここが自分の役割」と割り切ってそこに一生懸命集中して頑張ったって良いのだ。
 「自分自身が本来何をしたいのか」ということを突き詰めながら、自分の本来やりたいことをやる。
 親や身近な人たちが親身になって寄り添ってくれたり勧めてくれたりすることもあるが、自分で「こうする」と決めたのなら、後でうまくいかなくても自己責任であり、「自分で決めたことだから」ということでしっかりとそれを受け止めていかなければならないのである。
 
 
 
➄自分を優先させる
 「自己中心」とはまた違うが、例えば「他人の意見と自分の意見では、自分の意見の方が大切」とか、「仕事と自分、どっちを取るかといえば、自分」というようなことである。
 つまり、「それを自分の意志でやっているかどうか」ということが問題なのである。
 自分の意志でやっていたら、それは自分の決めたことなので結果をしっかり受け止められるし、しょうがないと諦めもつくのだ。
 
 会社に言われてただやっているだけの人は、そりゃあブラック企業だって世の中にいっぱいあるのだから、ただ言われた通りに身を削って働いていればいつかは体や心を壊して病気になってしまうことになるし、その時になって後悔することになるのだ。
 そこで大切なのは、「自分で決定権を持って、さらに自分自身を大切にする気持ち」があるかどうかだ。
 その意味で言えば、会社や他人ではなく自分を優先させ、自分を大切にしながら生きていくことが大切なのだ。
 
 さらに言えば、自分を愛することも重要だし、自分の健康や体力に気遣えることも重要だ。
 自分の健康が損なわれたら、仕事もできないし、家族も養えないし、自分自身も地に足をつけて立つこともできない。
 「自分を大切に生きる」という言葉に対して、自己中心的という意味に受け取れてしまうかもしれないが、その意味ではなく、自分の健康を失ってしまっては元も子もないのだから、自分を優先的に気遣うのは当たり前のことなのだということだ。
 
 しかし、残念ながらこれをできない人はいるもので、仕事をやりすぎて健康を害してしまったりするのだ。
 自分を大切にして、自分を労りながら、自分を愛しながら、日々の或いは重大な時の行動や決断をする。
 その時に、「自分が優先されているか」をよく分かって判断して決断できることが重要なのだ。
 
 
 
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 「自己中心」とは、自分だけが良い状態である。
 「自分だけよければ」と自己中心にやると、他人から恨まれたり、足を引っ張られることになる。
 自分のためにならないのだ。
 
 世の中には、「あれも教えろ、これもくれ、全部よこせ」というような嘆かわしい人がいるが、そのような人達の生き方は短期的には色々な利益を得られて一見良さそうにも見えるが、長期的に見れば他人から反感を買ったり、批判を受けて足を引っ張られたりしてマイナスになって、最終的に孤立する羽目になるのだ。
 それよりは、自分を優先に生きた上で他人を労わったり、親切にしたり、助けてあげたりする方が、結果として自分に返ってくる。
 他人を助けることも巡り巡って自分のためになるのだから、一見すると相容れない考え方のように見えるが、それも自分を優先させた生き方とも言えるのだ。
 
 過剰な自己犠牲は長続きしない。
 「会社のため」、「誰々のため」、「○○のため」に頑張るというのは、ある一時には頑張れるが、何年もやり続けるとやがて燃え尽きて病気になったり、人生を棒に振ってしまったことを突き付けられる日が来てしまうのだ。
 そうならないためにも、自分を大切にして、自分の軸や考え方や意見というものをしっかり定めて、自分のビジョンに向かって物事を実現させていくことの楽しさや充実感に気付くことも大切なのだ。
 
 「他人に迎合したり流されたりするのは良くない」と感じ取っている人はいるはずだが、それも自分の軸がなければ他人に従うしかなくなってしまうのだ。
 「自分の意見はこうだ」、「それは違う」というようなこと一つ言えないことになるのだ。
 
 自分のやりたいことや考えをアウトプットしていくことは自分自身を発見することに繋がるし、自分の軸が定まってそちらの方向に向かっていると実感できたら毎日も人生も楽しくなってくる。
 しかし、他人に迎合してその通りに生きていると、何かはっきりとしない違和感を持ちながらも、自分の過ちを認められないまま何十年も過ごすことになって、その結果「何で自分の生き方をしなかったんだろう」と年老いてから後悔することになりかねないのである。