嫌なことがあった、大きなミスをした、子供の頃のトラウマがまだ残っているなど、時々思い出してしまってはその事しか考えられなくなったり、まだその時の心の傷が癒えていなかったりして、なかなか前に進めなくなってしまう時は誰にでもあるものだ。
人は、どうにもならない状況になった時、「それに立ち向かうか、逃げるか」の選択肢を本能的にすると言われている。
まあ、そこまでの状況とは言わないにしろ、過去のことを思い出して心の余裕がなくなっていて、本来なら第3、第4の選択肢があるかもしれないのに見えなくなっているだけかもしれない。
過去に起きた嫌な出来事から立ち直ろうとすると、その出来事と向き合わなければならなくなる。
しかも、自らそう考えて向き合うことになる。
そうなると、自発的に向き合い続けることで余計に傷つき、さらに落ち込んで前に進めなくなるという可能性も出てくる。
であれば、立ち直るよというよりも、忘れてしまった方が良い。
過去は過去として置いておき、今できることをやったらどうだろうか。
その方が気持ちも楽なはずである。
過去に起きた嫌なことやトラウマということは、今の時点では継続されていないということだ(今も継続されているのであれば、別の問題である)。
その出来事は自分の記憶の中だけにしまわれており、自分から誰かに言わなければ誰にも分からないだろう。
だったら、その嫌な出来事は一先ず横に置いておき、「今の自分が生きたいように生きていく」という選択もできるし、その選択をしたことも、当然周りの人には分からないのだ。
自分のことは、自分の頭の中や心の持ち方を切り替えればよい。
それなのに、多くの人は過去に囚われてしまう。
この「囚われる」ということが一番の問題なのだ。
過去にあった嫌な出来事は、現在は継続されていないのだから、「過去の出来事」として自分の中で切り離せるはずである。
しかし、過去切り離して前に進まず、今でもそれを思い出して自分を傷つけているのは、自分自身なのだ。
過去には他人に嫌なことをされたのかもしれないが、今もう一度傷ついているそれは、自分自身がやっているのだ。
現在をどう生きるか選択できるのは、自分だけである。
過去に色々あったろうが、もし今でも引きずっているとしたら、それも自分の選択なのだ。
もう一度思い出して苦しむ選択もできるが、今の自分が希望を持って楽しく幸せに生きる選択をすることもできるのだ。
自分はどのように、どんな目的のために生きたいのか。
楽しく幸せに生きたいのであれば、そのように生きればいいし、そのための選択をすればいいのだ。
それを、過去の嫌な思い出をもう一度思い出しているのは、自ら不幸を招き入れていることになるのだ。
「原因を解決しないと前に進めない」という考え方もあるが、「原因は一旦置いておき、今からの生き方を考えていく」という考え方でも幸せに生きられる。
後者で考えたって良い。
誰に文句を言われる筋合いもないのだ。
多くの人は、過去にショックを受けた出来事に囚われて、そこに意識を奪われて、繰り返し思い出して感傷的になり、ネガティブになり、落ち込むのだろうと思う。
しかし、それはそれとして、今の自分の選択は自分がするのだ。
「自分だけは好きな生き方をしてはいけない」ということはないのだから、好きな生き方ができる選択をするのだ。
過去の嫌な出来事やトラウマは、わざわざ克服しようと向き合う必要もないし、むしろ忘れたほうがよい。
「立ち直らなきゃ」と思うことは、実は過去の嫌な出来事やトラウマを引きずっている証拠であり、立ち直ろうとすればするほど引きずられていってしまう。
であれば、「立ち直らない」という選択をすればよい。
そして、それとは関係のない別の問題として、これからの自分自身が好きな生き方ができる選択をしていけばよいのである。