過去の楽しかった思い出に浸ることと、今を生きることについて メモ

 
 若い頃に楽しかった頃の過去の写真などを見たり、思い出の品を掘り返して手にして懐かしがったり、楽しかった当時のことをその時の人と会ってお話ししたりすることには、癒しの効果やポジティブな効果があるそうだ。
 過去の楽しかった思い出に浸ることは、言うまでもなくそれなりに意味があると言える。
 
 筆者も時には昔のことを思い出してちょっと浸る時間は好きだ。
 
 楽しかったことやその時間を一緒に過ごした人達を懐かしんだり、目を閉じればまさにそこに広がるかのようなあの頃の景色や場面をもう一度感じたり、大きなことをやり遂げた時のあの何とも言えない湧き上がる感覚を思い出したり、一生懸命生きていたことが今に繋がっていることにあらためて気づいたりして、「よし、これからまた頑張ろう」と前向きになれるからだ。
 
 ただ、あまり浸り過ぎるのはどうなのだろうかと思う。
 
 もちろん、嫌な思い出を思い出して気分が悪くなるよりは、楽しい思い出を思い出して良い気持ちになる方がよっぽど良いに決まっている。
 良いものは誰が何と言おうと良いからだ。
 
 「オレの、アタシの、楽しく美しい思い出は、誰が何と言おうと最高に良い思い出だ」で構わないし、実際そうであるし、そうあって欲しいし、邪魔されたくないし、したくもない。
 誰だってそうだろう。
 
 しかし私たちは「今」という時間の中に生きていることを忘れてはならない。
 今を意識したり感じたりすることで、「では、これからどうやって生きていこうか」となるからだ。
 
 その気持ちにならないとしたら、過去の思い出の中で生きていくのだろうか。
 また、過去の楽しかった思い出は、思い起こしたその一時の間は癒しの効果や幸せな気持ちになれる効果があるのかもしれないが、今後何ヶ月先何年先という方向性に向けては、幸せな方向へと自分を推し進めてくれるのだろうか。
 
 恐らく、過去の思い出に浸るだけでは、これから先の未来で掴むべき幸せのある方向には進んでいかないだろう。
 未来というものは、「今この一瞬」の積み重ねで出来上がっていくものなので、自分がその「今この一瞬」という時に何をするのかによって、これから先が変わってくるのだ。
 
 
 
 未来の自分のために「今この一瞬」を積み重ねるためには、今の自分に対してプラスになることをすべきだ。
 その「プラスになること」とは、世間一般で言われている言葉なら、「自己成長」とか「自己投資」とか言われるものである。
 特に本や動画や自己啓発系の何かに限った事ではなく、実学であっても実体験であっても同じことである。
 
 今まで知らなかった何かに気付いたとして、その気付いたことを行動につなげれば、結果の良し悪しはあるかもしれないがそれは自己成長と言えるし、未来に向けた「プラスになる時間の使い方」ともなる。
 もしその時の成否としては失敗であっても、「〇〇するなら××はやめとけ」というような教訓を得られるならば、結局は結果としてはプラスである。
 パターンは様々あるだろうが、また、一例としては頼りないかもしれないが、このようにして今を積み重ねていくことで、未来はプラスの方向に進んでいくのだ。
 
 未来のために「今この一瞬」に重きを置くのなら、過去に起きた幸せな出来事を思い出すことで、5年後や10年後に自分が幸せになることに繋がっているかどうかと言ったら、恐らく繋がっていないのではないだろうか。
 もちろん、発想や閃きというような視点で見れば、天啓に打たれるとようなことは極稀にあるのだろうが、ないとは言えない。
 ちょっとサバサバした考えかもしれないが、過去の思い出に浸ることはその時の気持ちとしては癒されるので、ある時点で良い思い出に浸って思い出して、「よし、また頑張ろう」となって次に進めるのならばそれで良いだろう。
 
 しかし、思い出に浸ってばかりでそこに固執してしまったり、居心地が良くなって抜け出せずに引きこもってしまったり、そのままメンタルが弱くなって動けなくなってしまったりするというのはあまり良くない。
 そうなると、その思い出に浸ること自体が、現実からの逃避になってしまっているからだ。
 
 
 
 今を大切に生きようと思えば、まずはほんの少しの時間で良いから「自分は過去に生きているのではなく、『今この一瞬』の中に生きているのだ」と改めて感じてみることが大切だ。
 独り言として口にしてみるだけでもよいかもしれない。
 そして、その「今」の中で自分が最善を尽くせると思うことをやっていった方が、後から振り返ってみた時に、「楽しい人生だった」と思えるはずだ。
 
 その当時にどのようなことを意識していたかなんてその人にしか分からないだろうが、過去にもその時に生きた時間を大切にして最善を尽くしたり、重大な分かれ道の選択をしたり、進んだ先の環境において死に物狂いでやり遂げてきたからこそ、今でも色褪せずに楽しく浸れる思い出が、強く記憶に刻まれているのだと思う。
 その時間はその人にしか手にできない「人生の宝物」のようなものであるが、しかしそれらも時間と共に少しずつ思い出せなくなったり忘れてしまうのが怖かったり、赤の他人に茶化されたり「無かったこと」にされてしまうのがこの上なく腹立たしかったりすることも、よく知っているし、よく分かる。
 
 だが、あなたが次に進むはずの道において、それら楽しく美しい思い出が足枷になってはならないのだ。
 
 わざわざ言うことでもないが敢えて言わせてもらえば、「今」という貴重な時間に、他人の悪口を言ったり貶めたり、自分の管理できる範囲を大きく超えた悩みを増幅して不安に押し潰されるようなことに時間を使うのは、膨大な時間の無駄である。
 これと同じように、今を忘れて楽しかった思い出にどっぷりと浸り切り、変に固執して停止してしまっているだけの時間をただ費しているというのも、時間の無駄にならないだろうか。
 
 それよりは、少しでも今の自分に役立つように「今この一瞬」の時間を使っていく方が良いのではないだろうか。
 過去の楽しかった輝かしい思い出も、それをまだそこにあるかのようにくっきりと思い起こして浸れる時間も、そのどちらをも持てる人生を作り出せたあなたになら、そこから英気を養ってまた「今この一瞬」を積み上げていくことで、間違いなく新たな素晴らしいものを作り出していかれるはずだ。