長いものには巻かれた方がいいか メモ

 
 自分が本当に思っていることとは違うけれど、今その場では相手やチームの方に合わせておいた方が良い、というようなことがある。
 例えば、普通に会社で勤めていくならば、自分の我を通すよりも周りと適当に合わせた方がうまくいくこともある。
 人間同士の軋轢も少ないし、勤める上で蓄積していくストレスも少ないことも多い。
 
 いや、「適当」というよりも「適切」と言うべきだろうか。
 「会社では会社員としての仮面を被って、一切自分を出さない」というよりも、「今自分の置かれた場所や状況での役割をこなす方が良い」という意味である。
 そういう意味ではやはり、「適当」と言うよりも「適切」なのかもしれない。
 
 また、「無難」という言葉があるが、それも時には重宝することだってある。
 腹の底では「自分が正しい、アンタがおかしい」と思っていても、周りが誰も言わないのであれば「自分も言わない」という選択肢もありだ。
 後になってから分かったり気付いたりすることもあるから、焦らずに行くとよいだろう。
 
 ただ、個人的に言いたいことを、周りの空気も読まず、今まで積み上げてきた流れも後先も考えず、好き放題に意見したり主張してばかりいては、風当たりが強くなってチームから外されたり、昇進できなくなったりするものだ。
 正論や正義というのも大切だが、一方で、「集団として些細な波風を立てずに全員で目的地に辿り着く」ということもまた大切だったりするのだ。
 そうすると、無難な選択も決して現状維持の視点だけからの決断とは言い難いだろう。
 
 
 
 ところで、会社にはその会社で培ってきたやり方や物事の進め方などが蓄積されているが、もう身に付けただろうか。
 それをさっさと学んで使えるようになった方が、集団の一員としてうまくいきやすいはずだ。
 そして、会社の実作業においては、目的や軸などのブレてはならないところはしっかりと押さえることだ。
 長いものにまかれるということは、人付き合いのことだけではないのだ。
 
 例えば、あなたの素晴らしいセンスと情熱で作り上げた「あなたにとっての100」のものが、会社にはハマらなかったということがある。
 「会社(上司)は、わかってない」と愚痴の一つも言いたくなる気持ちは分かる。
 
 しかし、本当に失礼な言い方かもしれないが、会社にとっては「蛇足」だったのかもしれない。
 そういう時は、残念だが自分のこだわりは一旦置いておき、「今の会社にとっての100」を先に知った方がよい。
 
 念のためだが、長いものにまかれるということと、周りに合わせた結果自分のレベルが下がることとは、決してイコールではない。
 集団に蓄積される集合知や解決法というものは、意外とシンプルなことが多い。
 なぜなら、手数や時間などのコストが少なくて目的のものができたり成立したりするのであれば、会社としてはその方がよいからである。
 
 もしかしたら、今のあなたにとってはシンプル過ぎて60くらいに感じるかもしれないが、その点はあなたがもっと実力をつけた時に見せつけてやる機会ができたと思って、その日に備えてさらに日々磨きをかけていくことにして、今日のところは長いものにまかれておこう。
 長いものにまかれるというのは、ある種「余計なこだわりを持たない」という一面もあるのかもしれない。 
 
 
 
 ただ、気を付けておくべきことは、何か問題があった時にみんなで知らん顔をしたり、無責任な振る舞いや心づもりでずっといるということではない。
 それは「なあなあなやり方」というようなものの類であり、長いものにまかれるということではない。
 その組織において「おかしい」とか「抜けてる」と思ったことを伝えるやり方は、知っておいた方がよいしやった方がよい。
 長いものにまかれつつも、やるべきことや押さえておくことはしっかりやることだ。
 
 ここでの例は会社であるが、会社にいるうちは、長いものにまかれておいた方がうまくいくことが多い。
 会社の一員としてそれなりにその場に適した行為や振る舞いをするというのは、決して悪いことではない。
 また、長いものに巻かれたり、他人に合わせたりするということを適度にやっていくということも、その場での直接的なストレスを減らす上での有効な手段だとも言えるだろう。