不安や恐怖への対処の仕方 メモ

 
 現代で言えば、不安や恐怖への対処の仕方は、究極的には困難に立ち向かうか逃げるかの2通りしかない。
 不安や恐怖を感じると、脳の中にはノルアドレナリンという物質が出て、扁桃体という危険を察知する部位を興奮させると言われている。
 ノルアドレナリンの分泌は、生き物が天敵と遭遇したり命の危険を察知した時に、戦うか逃げるかの選択を脳に迫るという、人間の持つ本能の部分に影響を与えるためである。
 
 例えば、何かの試験を受けたいという時のことを考えてみると、「本番に弱い」とか、「試験を受けること自体が不安」とか、「試験を受けようかどうしようか迷っている」というのはよくある話だろう。
 もし戦う場合は、本番に備えて勉強して試験を受けることになる。
 また、ただ戦う選択をするだけでなく、本番を想定して模擬試験などを受けて慣れようとしてみることで、本番に弱かったり、緊張したり、混乱してしまうことを克服していくのもよいだろう。
 そういうのが嫌ならば、逃げる、つまり試験を受けなければよいのだ。
 
 多くの場合は、不安や恐怖を克服したければ、系統的脱感作療法という、弱い刺激から始めて徐々に慣らしていく方法をとっていくしかないだろう。
 「緊張に弱くても誰にも迷惑もかけない」とか、「そのままでもいいんじゃないの?」と思うところもあるだろうが、せっかく経験を積んだり克服するための絶好の機会が訪れたと思えば、ただやるよりも多少は身も入るだろう。
 今回の例で言えば試験を受けるという例なので、失敗したって命がなくなるわけじゃないし、学校を退学になったり会社をクビになったりするわけでもないし、受験料しかかからないので、これに近い何かで不安や恐怖を感じているのなら、小さな勇気を持って一歩を踏み出してみたら良いのではないだろうか。
 
 
 
 不安でも恐怖でも、それは自分だけが持ったり感じたりする特別なものというわけではないので、今のところは無視したり、時間を空けるようにしたり、逃げたかったらそうすれば良いのではないかと思う。
 ただ、すべての出来事において全部最初から逃げていたら何も蓄積されないが、それなりに頭を使ったり、計画を見つめ直したり、想像力を働かせた結果、「やっぱりやめとこう」とか「頑張ってみたいけど今は一旦退こう」ということになれば、後になってから「あの時は冷静な判断をした」と分かることもあるので、そうなればそれで経験が蓄積される。
 
 何でも「成功」と言えば聞こえが良いのかもしれないが、世の中の大多数は「うまく乗り換えて成功した」か、「うまくいかずに失敗した」か、「最初から諦めていた」というようなものばかりである。
 それに比べたら、「色々考えた結果、○○の理由でやめるべき」とか、「途中までやったけど、悪い方の条件揃ってしまったので一旦退く」とか、「完全勝利目前だったのに全面退却するはめになった」という決断はレアケースとも言えるので、その出来事を後からしっかり振り返っておけば、かなりの高確率で次回(どころかその後の人生にも)に活かすことができるだろう。
 また、人生の教訓とも言えるようなものを得られることだってあるから、「逃げることは即恥である」ということばかり気にしたり考えたりしなくてよいのだ。
 
 多くの人は真面目だから、本当に真剣に真面目に考えて、「何事も克服しなきゃ」となることが多いようだが、不安なことや恐怖に感じていることは、大抵は得意でないことや、経験の浅いことや、未知のことが多いはずなのではないか。
 そうなると、いくら気持ちは克服したいと思っていても、その時のレベルから考えると相当難易度の高いことになってしまうのは言うまでもないだろう。
 まあ、「どうしてもやらなければその後の人生の扉が開かない」ということであれば、力づくでもやるしかないのだが。
 
 戦うか逃げるかの選択肢というのは、その後においても色々な場面で応用ができることと思う。
 逃げる選択をしたことやその選択肢まで全部悪いとは言わないし、立ち向かう場合だって信じられないくらいハードルが高い時があるので、どちらが良いのかといえば「時と場合による」としか言えないものだ。
 だからこそ、「少しずつ慣らしていく」とか、「小規模でやってみる」とか、「一回は自分でやれるところまで取り組んでみる」という、仮に成功してももっとやりたくなるような、或いは失敗してもダメージが少なくて済むような小さな経験をしてみることと、そのための心構えと実際の行動を積極的に積み上げていく姿勢が大切になるのである。