人付き合いで苦しまないために メモ

 
 人間関係で「反りが合わない人」というのは、どうしても存在するものである。
 また、他人から何か嫌なことを言われたとかで、その人のことを苦手に思ってしまったり、傷ついて落ち込んだりすることがある。
 そして、「傷つかないためにはどうしよう」とか、「どのような心の持ち方をしたらよいか」といったことを探し求めたりする。
 
 こういうことは誰にでもあることだが、基本的にはその場のうちに受け流したりして、あまり気にしないことが大切である。
 これが仮に、不当に意図的に意地悪をされたり、いじめやパワハラなどであるというならば、どこかに相談するなり誰かの助けを求めるなりすることが必要だが、ここではその手前の段階の話である。
 
 例えば、同居をしているなどでいつも一緒にいるような相手の場合は別だが、たまに会う知り合いとか、数か月に1回会う程度の親戚や義理の親族などの場合は、その時間は我慢して受け流すのが一般的だろう。
 
 気付いておくべきは、今の自分が人間関係を重視しすぎるあまり、そのことに囚われてしまっていることである。
 
 
 
 別の例として、職場で上司や先輩と相性が良くないという場合、そういうのはたまたま巡り合わせで仕方のないこともある。
 会社にしろ学校にしろ、ある一定の時間だけ合うような人は、その間だけの話である。
 
 職場にいる間は嫌だけど仕方ないと思って割り切って、我慢するか受け流すかすればよいだろう。
 上司や先輩が一方的に嫌なことを言ってくると言うのはコントロールできるものではないからだ。
 
 しかし、仕事が終わった後に、自分が何を考えてどのように生きるのかは、自分で選ぶことができる。
 仕事が終わって家に帰ってきてまで嫌な人のことを考えるかどうかは、自分の範囲内での出来事なので、自分が決めることなのだ。
 職場が終わって自分の時間になったら遊んだり楽しんだり休んだりすればよいのに、嫌な考えに思いを巡らせているのは自分なのだ。
 
 仕事で何かうまくいかないことがあれば、できる人に聞いてみるなり調べるなりして、できるようになるように少しずつ積み重ねていけばよい。
 そうではなく、ただ相手の性格だけを苦手に思って嫌なことを考えているのなら、その考え方を上手に切り替えたり受け止め方を変える工夫をするべきだ。
 それができないと、実際に会ってやり取りしているのは、例えば1日8時間働く中で実質2時間くらいのことなのに、その前後の通勤時間や自宅の中にいる時間まで使うことになってしまうのだ。
 
 実際に対面している時は仕方がないとしても、自分の大切な時間に嫌いな人を持ち込まないと決め、自分が変わっていく方が大切なのだ。
 
 
 
 現実社会において、また、一般常識の範囲内において、その本人を目の前にして「あなたのことが嫌いです」と言うのは実際には難しい。
 また、嫌だからといって相手の言うことを聞こえないふりを決め込むのも、現実的でないし正常でない。
 だから、嫌だなあと思うことがあっても、ある程度は諦めるしかないだろう。
 
 しかし、実際に対面していない時間は自分でコントロールできるはずの時間なのだから、自分で何とかするのだ。
 最初は出来なくても、せめて嫌な人との対面が終わった後は、「嫌なことを言う人は、まあ、そういう人だ。」程度に割り切って受け流す。
 その後は気楽な心持ちでいるように努め、もっと自分のやりたいことや楽しみたいことにエネルギーを注ぐべきである。
 
 そして、自分で自分のことを大切にする時間と、あなたのことを大切に扱ってくれる人と会う時間にも、忘れずにエネルギーを注いでいくべきである。
 
 嫌だと思っている人間関係の人に対して、その人がいない時にまで、自分の貴重な時間や、脳や体のエネルギーや、本来あったはずの健全な思考を、いとも簡単に差し出してしまうことは、あってはならないのだ。