承認欲求を満たすためにできること メモ

 
 人から褒められない、認められない、ということで不安になったりストレスが溜まってしまうという時は、もしかしたら承認の欲求の基準が高すぎるのではないだろうか。
 
 誰かから褒められるということは、そもそも滅多にないことである。
 例えば、と考えてみても、毎日誰かからとめどなく褒められている日常ということはないだろう。
 たまに、それも何ヶ月かに1回くらいの割合で、何か大きなことがうまくいって褒められたりすることがあるかもしれないが、しかし実際のところはやはりそれほど多くはないだろう。
 
 
 
 「どこまで認められたら承認欲求が満たされたと言えるか」ということをあまりに高く設定してしまうと、心が満たされる回数もこれに合わせて少なくなってしまうのだ。
 誰であれ時には大きな承認を得ることは大切だが、基本的にはもっと基準を下げるか、小さなことでも喜びを見つけられる点や満足できる点を自分から見つけ出していくことも大切である。
 
 多くの場合、承認されていることはもっとあるはずだ。
 それらは「ありがとう」とか、「お世話になっています」とか、「誰かの役に立ってる」などの感謝の言葉だったりするのだが、自分から注意して気付かないとなかなか気付けないものでもある。
 承認欲求が満たされていないと感じている人に限って、こうした点の観察力が鈍ってきているのかもしれない。
 
 
 
 だからまずは、良いことがあったら、人から褒められたら、誰かから認められたら、どんなに小さなことでも書き留めていくことだ。
 こうしたことを、日記であれメモ書きであれ1週間2週間と続けていくことで、それを読み返した時に、自分がいかに人から認められ、褒められ、必要とされている人間だったかということが見えてくるのだ。
 承認欲求が満たされないからと言って落ち込んでいるばかりでは何も解決できないのだ。
 
 他人から承認されたという経験は、自分で探していかなければならないことだ。
 その中で、実は自分は人から認められ必要とされている人間だと、自分で気づく必要があるのだ。
 たとえSNSやブログの「いいね」一つにしたって、十分なくらい励まされることもあるのだ。
 
 誰にでも、日々の生活の中で、実は誰かから必要とされていたり、参考にされていたり、誰かの役に立っているという部分は必ずあるはずなので、これらの小さなことを自分で拾い集めていくということが大切である。
 
 
 
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 (余談)
 文中に、「いいね」で励まされる旨の表現がありましたが、本当に励まされています。
 いつもありがとうございます。
 
 7月過ぎ頃までは繁忙期のため、読者の皆様のブログの購読が1/22で滞っておりました。
 今のところは過去のメモ書きを投稿することで精一杯ですが、一段落した後にはまた一つ一つ拝読できることを楽しみに過ごしております。