相手から嫌なことをされて仕返ししたい時 メモ

 
 誰だって、嫌なことをされたら嫌なものだし、「こっちの気持ちを分からせてやろう」と思って仕返ししたいということの一つもあるだろう。
 その気持ちを抑えるのも大変な苦労をするのだろうが、その苦労の内容について少しくらいは視点を変えてみるのも、今後のためには良いかもしれない。
 
 心理学には「返報性の法則」というものがある。
 簡単に言うと「良いことをされたらお返しをしたくなる」というものだ。
 しかしこれにも裏の面はあり、悪口を言われたら言い返したくなったり、ネガティブな感情をぶつけられたら仕返しをしたくなる、というのが人間の心理というものなのだ。
 
 ただ、こういうのは普通の反応であるから、仕返ししたいと思ってしまったからと言って、「自分の性格や性根が悪い」と一括りにして言えることではないだろう。
 ではどうすれば良いかと言えば、返報性の法則の正の面と負の面を考えてみると良い。
 要するに、やられたらやり返す世界で生きていくのか、人に親切にしたり感謝されたりする世界で生きていくのか、自分にとってどちらが生きやすい世界なのか見極めるということである。
 
 これを実現するためには、一日に一回、他人に親切にしたことを一つと、他人に感謝したことを一つを、日記につけるのが良いだろう。
 こうすると、返報性の法則の正の面を応用することに加えて、強制的に他人に親切にしたり感謝しなければならなくなる状況を作ることができる。
 一週間でもいいからそこだけに着目して続けてみれば、自分の人生、或いは、世の中を見る視点がどれだけ変わるかが身をもって分かるだろう。
 
 
 
 率直に言えば、人から嫌がらせをされたら親切で対応するのが良い。
 少なくとも、嫌がらせをしてきた相手に腹を立てて「怒り」の感情を持って対応すると、自体は悪化するだけである。
 普通は怒りに対して親切で対応するということはないが、「嫌なことを1回やられたら、3回は親切で対応する」くらいの心の余裕を持ってやってみると良い。
 
 3回というのは特に意味はないが、3回で効果がなければ5回、10回、ダメなら効果が出るまでやってみるということだ。
 ちなみに、親切は「善行」という意味だけではなく、丁寧な対応や言葉遣いをするということでも良い。
 さらに、嫌がらせをしてきた本人でなく、嫌がらせ事態とは関係のない別の人に対して親切をすることでも良い。
 
 そりゃあ誰だって、嫌がらせをしてくるような奴に得をさせるようなことはしたくない。
 しかし、嫌いな人に対して敵意をむき出しにして接したって、余計に火に油を注ぐだけだし時間も勿体ない。
 だからそれよりは、誰に対してでも良いので、親切をしたり感謝を感じたことを記録していった方が良い。
 
 その記録したことをある程度経ってから見返してみると、どのように仕返ししてやろうか、意趣返しをしてやろうか、陥れてやろうか、と黒い渦を逆巻いて計画していた自分が幼く見えたり、馬鹿みたいに思えるようになるだろう。
 それに、親切や感謝の数が100も200も積み上げられた状態の自分だったら、1回くらい悪口を言われたくらいなら、「そんなこともあるよね」と受け流せる余裕もついてきている可能性は高いはずだ。
 もちろん、過剰なものや非道なものは許すべきではないが。
 
 
 
 特に悪いこともしていないのに、一方的に嫌がらせをしてきたり悪口を言ってきたりする人は、ハッキリ言って暇人である。
 自分自身の人生に集中している人はそんなことはしないし、そんなことをしている時間もないのだ。
 或いは、その人はそうしていないと、心がスッキリしないとか、周囲の取り巻きに対してボス猿感を演出できないという、言わば「お困りの状態」なのかもしれない。
 
 また、仕事が極端にできないとか、知らず知らずの内に相手を傷つけることを言ってしまっていたとか、あなた自身にも原因はあったのかもしれない。
 だからと言って「あなたが一方的に悪い」とはならないし、嫌がらせや悪口などを実行に移してしまう人をまったく擁護する気はないが。
 仕事ができないとか、コミュニケーションが変とか、言葉遣いやマナーなどが原因だったのなら、上司や先輩などにコツを聞くとか、毎日少しずつ成果をあげたり改善するとか、その場ですぐ素直に謝るとか、本でも読んで勉強してみるとか、対策はいくらでもあるのでできることからやっていけばよいだけだ。
 
 ただ一つ言えるのは、悪口を言われたらすぐさま言い返したりやり込めたりするのではなく、それよりも、そもそも人に親切をして感謝が返ってくるかということを、自分に対して実験するような気持ちでも良いから普段から積み上げて生きていく方が、今までよりも嫌がらせや悪口などから明らかに縁遠い生活を送ることに繋げられるのである。