「親切は良いことだ」と言われても、人に親切をする時は誰でも、「お節介に思われるんじゃないか」、「迷惑がられるんじゃないか」「余計に直せばと思われるんじゃないか」という、ある種のマイナス感情や恐怖を連想するような感覚を持つこともあるのではないかと思います。
親切なんて気楽にやれれば良いのですが、タイミングもよく分からないし、慣れないうちはなかなか難しいと思ってしまうかもしれません。
この気持ちが少しでも薄まれば、もう少し自然にできるのではないかと思うこともあると思いますが、それではどうすれば良いのでしょうか。
①まず親切にする勇気を持つ
冒頭では親切に対する懸念を書きましたが、その一方で、親切にすることでストレートに喜ばれることもあります。
そして、今までよりも良い人間関係に発展していくこともあります。
どちらかといえば、ほとんどの場合はメリットの方が大きいと思いますが、それでもやっぱり心のどこかでは気になってしまうのが人間というものです。
この状況を乗り越えるには、勇気しかありません。
親切とは、基本的には悪気があってやるものではないので、著しく迷惑がられるということもそうそうありませんから、やはり勇気を持って一歩を踏み出すことが大切です。
また、親切をするにしても、誰かに手助けしてもらいたい人も、誰でもこうした葛藤を持ったり、間合いを測ったり、どのようにしようか悩んだりしているものです。
「後は勇気だけ」となるためにも、「何かお手伝いしましょうか?」でも、「何か自分にできそうなことでお手伝いできることはありますか?」でも、最初の一言を用意しておくのも良いでしょう。
②相手を察する練習をする
人に親切にするというのは、一件サラッとできそうでいて、案外大変なものだったりします。
相手が困っている状況でタイミングよく親切をすると喜ばれますが、そうでない状況では余計なお世話と思われかねません。
せっかく自分の中に湧き出した良心を無駄にしないためにも、普段から相手をよく観察するようにしておくと良いでしょう。
「相手を助けるべき状況かどうか」というのは、「何か困っているかな?」とか「忙しそうにしているな」というように、その時の相手の行動や雰囲気などを見て、そこから察して判断する必要があります。
ですから、簡単に言ってしまえば、相手が困っている時に手伝いを申し出れば嫌がられることはまずありません。
むしろ、仮に「大丈夫ですよ」と断られたとしても、その人の心の中では声をかけてもらえたことに対してプラスの感情が湧くことと思います。
また、その「大丈夫ですよ」と断られるのが恐怖なのかもしれませんが、単に相手がその時に助けを必要としていなかっただけか、「これは自分のやるべき課題」などと思って集中していたとか、その日は虫の居所でも悪かったのでしょう。
ですから、そんなに気に病む必要もありませんし、まして他人のやるべきことを奪ってまでする親切なんてありませんから、とりあえずは自分の仕事ややるべきことに戻って、その事に打ち込むなり終わらせるなりして、その後にまた親切ができそうな機会ができた気持ちに余裕がある時にやればよいのです。
親切をしようと思って接することは、相手が困っていることに気づいてあげる練習にもなりますし、気遣いの練習にも察する練習にもなるのです。
ただ、相手の状況と親切にする内容はある程度分かってからやることと、自分のやるべきことを先に終えておくようにしないと、自分にとっても相手にとっても親切にならないことがあることも分かっておくことです。
自分の仕事が終わっていないのに親切をしようとすれば「いいから自分のことを先にやれよ」という話ですし、自分も道に迷っているのに「私も迷子ですけど、何かお困りですか?」なんて言おうものなら、「お前何なんだよ」となってしまうのは当たり前の話なのです。
③自分から先に相手に与える
恐らく大多数の人がそうだと思いますが、親切をされると感謝したくなり、感謝には親切でお返ししたくなるものなのではないかと思います。
そうやって親切と感謝が何度も巡っていくことで、自分も相手も相互に幸せになっていきます。
もし何もしなければ、他の人から突然親切にされることはそう多くはないでしょう。
世の中の色々な人達が自分に何か良いことをしてくれる状況というのは、いつまで待っていてもなかなか起きるものではありませんから、まず自分から与える行動を取るということが基本になってきます。
ここで言っている「与える」とは、親切、手助け、支援、思いやりなど、いわゆるギブアンドテイクで言う「ギブ」のことと同じです。
この、「自分から他人に与える行動」をしていくことで、親切と感謝の連鎖が回っていくことになります。
大切なのは、より良くなるための行動でも幸せになるための行動でも、「自分が主導権をしっかり握った状態で行動していく」ということです。
「自分から先に与える」と言っているのは「主導権を握られるな」ということであり、②の相手を察する力も必要となることでもあり、ここが抜け落ちてしまうと、残念ながら相手にいいように使われかねない「無防備で丸腰の単なるお人好し」という状態を晒してしまうことになるからです。
少し緊張感のある話になってしまいましたが、親切と言っても別に大事として捉える必要はなく、今の自分でできる小さなことから始めていくことで良いでしょう。
仕事で忙しい人を少しだけ手伝ってあげるとか、パソコンで使い方が分からないところを教えてあげるとか、こちらが「ちょっとしたこと」と思っていても、相手にとっては十分に喜ばれる親切になることもあるのです。
始めのうちはその小さな親切を自分からやっていくことにも勇気がいるでしょうが、その行動によって自分も相手も幸せになれるのであれば、1日1回だけでもやってみると良いのではないでしょうか。