子供の将来を考えた時に、やらない方が良いこと メモ

 
 音楽指導をしていると、技術や心構えややり方を教えたり伝えるだけではどうにもならないことが出てくる。
 とりわけ子供の年齢が幼いほど、本番前の夜更かし、朝食を食べないことでの集中力の低下、自分に自信が持てない、精神的な不調、癇癪などが挙げられる。
 だからこうしたことは、指導者や学校の先生だけでなく保護者の皆さんも巻き込んで、「大人みんなで協力してやっていこう」とすることも多い。
 
 今回は今後に活かすための備忘メモとしての投稿だが、実際の家庭の在り方は人それぞれなので、こちらから何かを押し付ける気はさらさらない。
 もちろん、ここに挙げたものだけで子供への対応を完全に包括できるかといえば、まったくそんなことはない。
 
 
 
①心配する
 「心配 = 信用できない」からである。
 自分が言われるにしたって、自信や自尊心を傷つけられるだけでなく、単純に腹も立つことだろう。
 それは子供だって同じことなのである。
 
 子供がそれをされたら自信喪失ややる気の減退につながって、「自分には能力がない」、「どうせ大した人間じゃない」となっていってしまう。
 ほったらかしの放任主義が良いわけではないだろうが、たとえ相手が子供でも「信じる」が先に立つのだ。
 「あなたならきっとできる」、「応援してるよ」という言葉はとても大事な言葉かけであり、「親が自分を信じてくれている」と感じている子供は、悪い事やズルいことをしなくなっていくだけでなく、物事をより良くするために自分から改善していくこともあり、胸を張って社会に出ていくこともできるのだ。
 
 しかし、それにしても、心配する時は病気や怪我の時くらいで十分だと分かっていても心配してしまうのが親だ。
 自分達の大切な子供なのだから、当たり前である。
 確かに親としての主観はもちろん大切だが、子供から見ても「困ったことがあったら何でも相談に乗ってもらえる存在」、「いつでも味方でいてくれる存在」であることもまた大切なのだ。
 
 
 
②配偶者の悪口、陰口を言う
 子供にとって親はとても大きな存在である。
 それなのに2人とも悪口を言い合ったり、どちらかがいないところで陰口を言っていたりすると、子供に「親も大したことのない存在だな」と思われてしまう。
 なぜなら、「人は、尊敬できない人間の言うことを素直に聞けない性質を持っている」からである。
 
 もしあなたが、尊敬できないだらしのない上司から「もっとちゃんとやれよ」と言われたところを想像してみれば、この感覚を理解することは容易であろう。
 そのような状態で「ああしろ、こうしろ」と親から言われても素直に聞けないのは、子供だって同じなのである。
 しかも、親から言われることが、誰から見ても世間から見ても正しければ正しいほど、ただただ腹が立つものなのだ。
 
 誰だって、辛い時や、苦しい時や、虫の居所が悪い時くらいはあるものだ。
 外で我慢してきた分、家の中でポロッと口に出てしまうこともあるかもしれない。
 ただ、こればかりは夫婦で協力して我慢したり、他所でストレス発散したりしながらやっていくしかないことなのだろう。
 
 
 
③子供の才能について褒める
 「子供は褒めて伸ばす」ということは昔からよく言われている。
 では、どのように褒めたら良いのか。
 それは、「子供が努力したことを褒める」ことである。
 
 つまり、子供がテストで100点を取ってきたら、「よく努力したね、いつも頑張ってたからだね。」と言う方が良いのであり、「テストで100点取れたんだ、才能があるね。」ではないということだ。
 子供にしてみたら、「もし努力しても成果が出なかったら、頭が悪いと思われてしまう。」のだろうし、「もし他の新しいことにチャレンジすると、今までやってたことが才能がないからだと思われてしまう。」と感じてしまうこともあるだろう。
 こういうことが積み重なると、無意識に恐れを抱き、努力も挑戦もしなくなっていくのである。
 
 人は誰でも、何に才能があるのか分からないものだ。
 だから、特に子供であれば、才能なんかよりも「努力の量」や「挑戦した数」などに目を向けてあげる方が良い。
 
 努力を褒められれば、努力をすること自体に喜びを感じられるようになるし、努力の量もだんだん増えていく。
 それだけでなく、新しいことにも失敗を恐れず、果敢に挑戦していくようになる。
 その結果、普段の幸福感も上がっていくのである。 
 
 
 
④親の思い通りにならない時、ガッカリする
 これは特に、「成績が良い時は褒めて、成績が悪いとかっかりする」というところに現れるだろう。
 これが繰り返されると、子供としては「成績が良いと愛され、悪いと愛されないのだ」となる。
 つまり、本来親から常に育まれるはずの「無条件の愛」を信じられなくなるのだ。
 
 子供は、「今のままの、ありのままの自分ではダメなのだ」となってしまうだろう。
 心理学で言えば、「自己肯定感が低い」と言うのが適切だろうか。
 自己肯定感が低ければ、成績が悪くなるだけでなく、傷つきやすくなったり、イライラしやすくなったり、依存症になりやすくなったり、コミュニケーションが苦手になったり、子供自身がやがて子育てをする時にそれを苦手になる、という「人生の土台として大切なはずのことが盤石でなくなる」ということに繋がっていくのだ。
 
 子供がちょっとした一言や出来事で押しつぶされ、その後立ち上がれなくなってしまうような弱い人間にならないようになるためにも、親の思い通りにいかない時でもガッカリしないことである。
 その代わりに「励ましてあげる」ことだ。
 
 「テストで悪い点だったからって、暗い顔しないの。」とか、「あなたなら次はきっと大丈夫。」とか、ここで例に挙げなくたっていくらでも出てくるだろう。
 このように、子供は励ましの言葉から無条件の愛を感じることができるのだ。
 これからはガッカリなんてせずに、成績が良ければ努力を褒め、悪ければ励ましてあげるのが良いだろう。
 
 
 
⑤自然との触れ合いが不足する
 人間には、食欲と同じように、自然と触れ合いたいという「自然欲」という欲求もあると言われる。
 元々自然の多い場所に住んでいるのであればその必要はないが、もし都会に暮らしているのであれば、月に1回でも自然のあるところに子供を連れて行ってあげるのが良いということである。
 
 人工物に囲まれた世界ばかりでずっと生きていくよりも、自然に囲まれるからこそストレスが抑制されたり、自然の凄さを感じてその後の想像力・発想力・集中力・記憶力の成長に繋がったり、動物でも植物でも「命あるもの」との触れ合いを体験したり、美しい光景も、その反対に自然の恐ろしさも知ることができるのは、まさにそこに行かなければ自分の体験として取り入れることはできないということに他ならない。
 
 
 
⑥悪いレッテルを貼る
 だらしない、不器用、根性なし、嘘つき、バカ、のろま、ダメな子。
 親に学があるとかないとか、文系だ理系だとか、現実主義だとか理想主義だとか、そんな上っ面のものがあろうがなかろうが一切関係なく、人は等しく、自分に対して持っているイメージがその人のその後の人生となり、運命となるものなのだ。
 もしも「だらしない」と言われ続ければ、しかも幼い頃から親から言われ続ければ、その後その子はは見事な程にだらしない人間として成長するのである。
 
 これは、別の言い方をすれば「洗脳」だ。
 自分達の子供の幸せな将来のことを考えたら、こんなことは絶対に行ってはならないことである。
 言われた子供は漏れなく自分を愛せなくなり、自分に自信がなくなり、大人になっても不安や心配や、自分の精神的に弱い面について悩み続けることになるだろう。
 
 だったら、どうせレッテルを貼るなら、良いレッテルを貼るに尽きる。
 頑張り屋さん、優しい、思いやりがある、人の話をよく聞く、物事に理解があるなどだ。
 こうした前向きな言葉をかけてあげればネガティブな言葉と同じように現実化していくものだし、やがてその子が大きくなって辛い時期に陥ることがあっても、親のかけた前向きな言葉は必ずその子の心の支えになることだろう。
 それはここでいちいち挙げなくたって、親だったら自分の子供に対していくらでも肯定的な言葉が出てくるはずだ。
 
 ただ、もし注意する点があるとするなら、天才だとか、頭がいいとか、先に上げた「才能を褒めること」に繋がるレッテルを貼れば、やはり努力のできない子供になってしまうだろう。
 
 
 
⑦朝食を食べさせない
 朝食を食べないと、昼食をとるまでの午前中は血糖値が低いままの状態が続くことになる。
 朝食から得られるブドウ糖をはじめとする栄養は、脳にも体にもエネルギー源となる。
 
 血糖値が低ければ物事に集中できないし、感情も制御できないし、不安も心配事も跳ね除けられないし、普段の生活にも学校の成績にも圧倒的な違い出ることに繋がってしまうだろう。
 
 一昔前は「無理やりにでも詰め込め」と言われたものだが、現代ではどうだろうか。
 子供の意見や人権を尊重とか、そのようなことを言う人もいるかもしれないが、誰だってうちの子がこの世で一番の最高の子供だし、すくすくと健康に育って幸せになってほしいと思っているはずである。
 しっかりと朝起きて朝食をとるためには、とにかく「夜更かししない、させない」ということが最重要である。