他人に期待するか、他人を信じるかの違い メモ

 
 他人に期待するというのは、相手に対して何かの結果を求めている状態である。
 結果ありきで結果にのみ焦点を当てているということだ
 
 他人を信じるというのは、相手と同じ方向性を持ってこれまでの過程を共にしてきた中で、相手のこれまでの努力の結果に寄り添うという状態である。
 結果も過程も含めて相手を支えていくことでもあり、その信じたことで結果がついてくるということでもある。
 
 指導や育成などにおいて、相手を上手に着地点に持っていくためには「褒め方」が重要であり、そこには良い褒め方も悪い褒め方もある。
 もちろんここまでの流れから言えば、悪い褒め方とは結果を褒めることであり、良い褒め方は家庭を褒めるということである。
 
 例えば、子供が100点を取った時に、「100点を取ったことがすごい」という趣旨の褒め方をするのが結果を褒めるということだ。
 これに対して「毎日2時間も勉強していたから、今までの努力の成果が出たね」というのが過程を褒めるということだ。
 2時間も勉強していたという努力の過程や努力の仕方を褒めることで、2時間勉強することが定着していったり、もっと強化しようとして3時間勉強するようになったり、もっと効率の良いやり方を探すようになるのである。
 
 しかし結果のみを褒めたならば、次のテストで100点でなかった場合にはやる気も無くすし、自信を無くしたり萎縮してしまうことになるだろう。
 だから、他人を褒めたり支えたりする時は、その「過程」について褒めることが大切になるのだ。
 
 
 
 誰しも、全く期待されないというのは困るが、過剰な期待をされてもかえってプレッシャーになってしまう。
 だから、人間関係を考えれば、「相手の結果に対して何かを要求している」のか、「相手の辿ってきた過程について認めてあげられる」のかという違いが、親子であっても上司部下であっても大切になっていくのだ。
 
 単に結果が出たことに対して○か✕かで判断するのは、0か100かの二択の思考である。
 「白黒はっきりさせた方が良い」という場合ももちろんあるが、物事の取り組みやその成果の出方などはそればかりでは判断できないことだらけなのだ。
 だから、様々な物事をはじめ人間関係や人生などでは、結果主義では幸せにはなることは難しい。
 
 それよりも、プロセスをしっかりと評価してあげたり、取り組みを進めていく中でも支えになってあげることで、本人のやる気がさらに出たりの、より深い信頼関係が生まれたり、それらが継続していくようになるのだ。
 相手を褒めている時、「今褒めたそれは結果なのか、過程なのか。」という考え方や視点を持って他人と接してみれば、より分かりやすいだろう。
 誰だって結果にばかり注目されたら嫌なものだし、過剰に期待されたり介入されたり操作しようとされている状態なんて、できれば避けたいし聞きたくもないのだ。
 
 そうではなく、相手が努力したり一生懸命頑張っているその過程を評価し、そこを信じて、寄り添い、サポートしていくということが、その後の結果にも成長にも人間関係にもよりよく作用していくことだろう。
 「信じるのか、期待するのか」なんていちいち細かく考えていたら神経質な人に思われてしまうのかもしれないが、細かく分解したり切り分けたりして考えていくからこそ、1つでも多く相手を支え、寄り添い、信じてあげることに繋がっていくのではないだろうか。