①自分の気持ち、欲求に素直になる
自分を押し殺してまで他人に遠慮せず、「嫌なものは嫌」、「欲しいものは欲しい」、「自分はこれをやりたい」と言う、ということです。
他者を思いやる心は良いものですが、それをするにはまず自分自身に思いを向けなければなりません。
自分の力で地に足を付けて立つために言うべきことを言わず、やるべきことをやらず、他人の顔色ばかりをうかがって歩調を合わせていたら、他人に振り回されて損ばかりの人生になってしまうからです。
人は誰でも赤ん坊の頃から、お腹がすいたら周りのことなど一切気にせず泣くものです。
しかし、それが大人になるにつれ、必要以上に周りの都合のいいように合わせてばかりいると、昔自分も赤ん坊だったことをきれいさっぱり忘れ、いつからか自分で自分に許可を出せなくなってしまうのです。
②自分に対して大切に扱ってくれる人と付き合う
嫌いな人と無理して付き合わないことです。
また、自分に良くしてくれる人を全力で大切にすることです。
人生は一度きりですから、自分の事を大切に扱わない人に使っていい時間は1秒もありませんし、「自分と関わるどころか同じ時間を過ごす権利さえない」くらいに思ってよいといっても言い過ぎではないでしょう。
昨今での飲食店や商店や大企業が、クレーマーやネット上のバイトテロなどに毅然と対応して縁を切り、常連さん達をものすごく大切にしているのと同じように、個人の人付き合いもまた相手をよく見ることです。
自分の事を嫌いな人から更に嫌われたところで何も問題はありませんし、むしろ一発アウトでよいのです。
これからは自分を大切にするために、相手の態度によっては自分も態度を変えることです。
誰であっても、どんな事情があっても、もし相手が自分に対して無礼な態度や雑に扱う態度を取ってきたら、自分はそれを受け入れるつもりは一切ないということを相手に分からせることです。
そういう人達から自分を守れるのは自分だけであり、そのときにどのように対応したらよいかも、前もって知っておく必要があります。
もし一度でも受け入れてしまえば、それは自分で自分のことを大切に扱わなかったのと同じことになります。
人間の心というものは複雑なものですし、人間関係も手間もかかるし面倒ですし、自分や相手の成熟度も区々ですが、自分を大切にしてくれない人を自分の人生から除外しないと、ストレスがたまり、自尊心が下がり、自暴自棄になる可能性も跳ね上がります。
何よりも、自分の事を大切に扱ってくれる人と出逢うはずの機会を失ってしまうことになります。
大切にされない事に慣れてはいけません。
自分でも他人でも、本来は大切に扱われなくてもよい人なんてただの一人もいないのです。
③自分ばかり我慢しない
他人の幸せをずっと優先していると、自分の幸せは一生回ってくることはないでしょう。
自分の幸せを優先する事は決して我儘でなく、幸せになる権利とか人生の目的などと考えた方がよいです。
もちろん「他人を陥れてでも自分が」というのはいけませんが、もしいつも自分ばかり我慢していると思うなら、たまにはほどほどにして自分の思うように選択したってよいのです。
なぜなら、自分さえ我慢すれば丸く収まる、ということは万に一つもないからです。
そんなことをしていたら、相手から「あいつは我慢する奴だ」と受け取られ、その後はいいようにされるだけです。
それも、必ずです。
相手だって自分の幸せの方が大事なのだから、あなたの幸せの為には動くはずはないのです。
これからは、我慢をする時は、「相手が自分よりも子供だから」とか、「初心者だから」とか、「自分自身はいつもそれをやっていて機会に恵まれているから」というように、気持ちや金銭といったものに余裕がある時に、相手に対して優しい気持ちを持って譲ってあげるくらいでよいのです。
もしこの他に何か加えるとしたら「食べたいけど痩せたい」というような、自分を律する時くらいです。
④自分にとって大切な場所、存在を作る
「困ったらいつでも言って」と言ってくれる人、何があっても味方でいてくれる人、気持ちが落ち着く場所などを作ったり、やる気が出る道具などを持つことは、とても大切です。
本来の自分を感じることができたり、穏やかな心でのびのびと生きられたり、頼れる人、帰る場所、没頭できることがあれば、人生は一気に楽しくなるものです。
ですから、少しでも本来の自分を感じ取り、自分を大切にする機会を作っていくためにも、新しいことを始めてみたり、いらないものを捨てて見たり、本当はやりたかったことを書き出してみるということを、一つでも続けてみるとよいです。
そうした中で見つけ出す「少し先の自分」は大切にすべき存在と言えます。
当然、それを見つけ出すのは今の自分と過去の自分のおかげなわけですから、どちらもまた大切にすべき存在となります。
⑤すべての人や物事に敬意を持って接してみる
そのようなことは実際なかなか難しいことですが、まずは「できればそうしたい」と思うだけでも十分です。
自分を大切にすることができて初めて、「自分→身近な人→社会」という順に少しずつ大切にできる幅が広がっていくので、まずは自分の身近な人、学校や会社など身近な社会を題材として、「実は自分は大切にされていたのだ」ということに気付き、知ることが大切です。
人間同士の直接的な言葉や行動のやりとりだけでなく、ルール、仕組み、設備などからも、人を大切に扱うためにそれが作られているということを、少しだけでもいいので学んだり感じ取ってみることです。
話す相手がいる。
見て学ぶべき、真似すべき人がいる。
建物や道がある。
校則や条例や法律がある。
それらはほとんどすべて、人が作ったものなのです。
恐らく、最初は自分で立ったのち、「自分の身近な人のために」と信念をもって取り組み、それを徐々に広げていったのです。
それが多くの人の助けを得て、やがて顔も知らない人達の為になっていき、そして今や、自分だの他人だのの枠組みを超えて世の中に役立つようになっているのです。
しかしその規模が大きすぎるため、見ず知らずの私達は現在それに気付けずにいます。
そのようにして学び、自分を磨くことで、自分と他人、社会とのつながりを見つめ直すきっかけとなり、「自分も他人も誰かの大切な人である」ということを徐々に分かっていきます。
これは「個」というより「共同体」という考えに近いのでしょうが、このあたりが分かってくると、自分のことを大切に扱わないことがいかに馬鹿らしいか、自分の事を大切に扱わない人の相手をすることがいかに時間の無駄かも分かってきます。
ついでに、そういう人がいかにどうでもよい存在なのかも分かり、それと同時に、自分のために使える時間がいかに大切か、その残り時間がいかに少ないかも分かってきます。
そうなると、自分を大切にし、次いで可能な限り自分に関わる人達を大切にしていくことで、段階を踏みながら「自分の本分は何なのか、それに伴う行動は何なのか」が大切になりはじめるので、それほど時間を置かないうちに、自分の中で停滞していたものも動き出すことになるのです。