今まで継続していたことが急に煩わしくなることへの向き合い方


 ここでは「今まで継続していたこと」を「ブログ投稿」として書いています。
 「煩わしいことはストレスなので避けたい」と思うことがありますが、ストレスがあるというのも悪いことばかりではありません。
 適度なストレスがかかっている状態の方が、脳が刺激されて活性化したり、記憶力が高まったりすることもあります。

 筆者は、今までは自分で学習したことは一人でまとめて一人で読み返していました。
 しかし、こうしてブログとして投稿することで、ネガティブ過ぎることや悪口や変なことは書けませんから、適度な緊張感を持って取り組むことができます(うまくまとまっていないものについては大変申し訳ございません)。
 また、誰も見ていないとダラけてしまいますから、そんな自分の襟を正すためにも、意気込み過ぎないようにゆるめに取り組んでいます。

 さらに言えば、自分が手を加えることによる「情報の陳腐化」を期待しながら書いています。
 先人や先駆者や現在活躍している人達の素晴らしい知識を吸収して自分の言葉でまとめたつもりが、しばらく時間を空けて読み返すと「自分は何て冗長で稚拙な文章を書いていたんだ」と感じるからです。
 それで少し恥ずかしく感じて、またその文章に向き合い直すことによって、例えば3000文字以上書いていた文章が1000文字程度でまとまったりしますから、そこで自分の成長を感じられて良いのです。

 

 さて、多少の緊張感を持って事に当たれば、煩わしさもかえってプラスになることもあります。
 煩わしいからやる気がなくなるというのは、例えば試験前に勉強が捗るのに普段は続かないのと同じようなことかと思います。
 そりゃあ普段から120%の力で継続して物事に取りかかれれば良いのですが、そのような緊張感がずっと続いていたら体も心も壊すというものですから、続かなくて当然なのです。

 時には「人様も見るのだから、もう少しマシな投稿ができないだろうか」と思い悩んだりもしますが、「まあそんな時もあるから今日は短めで」と、気持ちの波の上下の「下」の部分をそれとなくやり過ごしながらやっていると、気付けば100投稿、500投稿となり、「ああ、自分は意外と継続力があるんだ」と気付いたりできます。
 そうやって自分の行動を通してあらためて何かに気付くとが意外と大切なことであり、プラスになることだったりします(思い悩んでいることと収穫したことが合っていないような気もしますが)。

 もちろん、筆者の投稿に良い反応やコメントをしていただけることには感謝しかありません。
 またその一方で、他の皆さんのブログから新しい気づきを得ることもあります。
 時折、自分がちょっと前に書いていたことが自分の知らないところで何か話題やブームのようなものになっていたりすると、妙に楽しくなってそれについて調べたり、次に何か書くのが楽しみになったりします。
 こうしたことが煩わしさを打ち消す薬のようなものになったりしていきます。

 投稿を継続していく中では、個人の発信というものは一見無力で無価値なように見えるし、やっていれば面倒くさいと感じることもあるかもしれません。
 しかし、上記の様な反応や気づきに加えて、同じ感覚を持った人が周りに増えて楽しくなるというようなメリットも幾つもありますから、煩わしさを感じる時は、「気持ちや緊張感が緩んできてはいないか」と少し振り返ってみて、多少の緊張感や勇気を持って続けてみるのが良いでしょう。